皆さんこんにちは、「songyun.org中国語教室」というコーナーを始めました。このコーナーでは中国に関する知識や中国語の勉強方法などをご紹介いたしますので、このウェーブサイトを有効にご利用していただき、この中国語教室が皆様のお役にたちますように心より願っています。

私も日々日本語と英語を勉強していきたいと思っておりますので、今後とも、よろしくお願いいたします。

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秦の始皇帝陵と兵馬俑(三)

秦の始皇帝は生前中国を統一した偉大な皇帝です。死後にも、生前に持っていた物をすべて地下に持ち込み、これまでにない豪華な陵墓を建てました。60平方キロに及ぶ始皇帝の冥土は、始皇帝がいた都ー咸陽を真似して作られたのですが、内の城壁、内城と外の城壁、外城もあり、域内にはたくさんの副葬坑があります。これまで、本当の意味の考古発掘は行われていませんけど、実験的な探測によって、すでに大きな発見がありました。

 兵馬俑は地下におよそ2000体ぐらい埋葬されたあと、前世紀の1974年にやっと発見されたそうです。実は「やっと発見した」という言い方は正しくないかもしれません。昔もきっと発見したことがあったのでしょうが、ただ発掘をしなかったといったほうが正しいでしょう。兵馬俑を発掘した際に、漢の時代から近世までの貴族や庶民のお墓も、その範囲内に見つかったそうですので、きっと昔にも兵馬俑を掘り出した人がいるかもしれません。

秦の始皇帝陵と兵馬俑(二)

秦の始皇帝陵の地下宮殿のレイアウトと埋蔵状況などに関しては、史書でたくさんの記載が残っています。漢の時代の歴史学者ーー司馬遷は『史記』の中で 、「穿三泉,下铜而致椁,宫观百官,奇器异怪徙藏满之。以水银为百川江河大海,机相灌输。上具天文,下具地理,以人鱼膏为烛,度不灭者久之」 と書いてあります。この古文の意味を日本語に訳してみますと、「秦の始皇帝の陵墓は、非常に地下深く掘られています。まず、溶かした銅の液で床を埋めた後、棺おけを置きます。地下宮殿には、文武百官の席を設けただけではなく、数え切れないほどの宝物を所蔵しています。また、盗掘を防止するため、宮殿の門に矢などの防止用の道具が設置されています。さらに、陵墓内で水銀による海や川を作り、機械の力でそれを流動させるようにしており、お墓の吹き抜けには太陽や月、星などを飾り、地下には実物を真似した山水やお城や村などの風景も見られます。そして、所々に人魚の油で火を点した(ともした)蝋燭があり、これらの蝋燭は長く点しても消えません。」ということです。

秦の始皇帝陵と兵馬俑(一)

秦の始皇帝陵と兵馬俑今日から1987年に世界文化遺産として指定され、また世界八大奇跡のひとつとも言われます。秦の始皇帝陵と兵馬俑は万里の長城などと同じように、中国で初めて指定された世界遺産のひとつとして、中国の文化史上では特に重要な地位を占めています。中国の明・清以後の歴史を偲ぶなら、北京へ;そして、明・清以前の歴史を考察しようと思うなら、西安に行ってください。という話がありますから、西安は実に歴史的雰囲気が濃くていいところです。

 秦の始皇帝陵と兵馬俑はほんとうに世間を驚かせる大きな発見です。特に、秦の始皇帝陵と言いますと、秦の始皇帝の陵墓で、今まで、すでに2000年あまりの歴史を持っています。中国では紀元後の歴史は漢の時代の司馬遷をはじめとする歴史学者たちの努力によって、よりはっきりするようにしました。でも、漢以前の歴史に関する記載は不明なところが多くて、例えば、兵馬俑について、歴史上では文字によるあかしなど何も出てきていません。

北京石刻芸術博物館

北京動物園の裏、つまり北側には幅10メートルほどの川が流れています。高層ビルが立ち並ぶ北京の街を車だけで移動していると気づきませんが、歩いてみると、ホットするこのような場所が見つかります。春らんまんのいま、人々は川べりで糸を垂れ、魚釣りを楽しんでいます。

 この川、実は頤和園から流れ出ているもので、川沿いには10以上のお寺がありました。しかし、いまはごくわずか、真覚寺は数ない一つです。地図を見ても、なかなか捜しにくいのが、逆に魅力かもしれません。

 真覚寺は明代、永楽年間に建てられたラマ教のお寺で、中央部分に5つの塔を有するお堂が作られました。このため、五塔寺の名で親しまれ、今日に至っています。

 北京石刻芸術博物館は、この寺の敷地を利用して1987年に設けられました。改革開放の初期のころで、北京は大規模な都市改造があちこちで行われていました。一方で、遺跡、古い町並み、家の玄関の門といったものが壊されていく時代でもありました。こうしたものを残すためにも、この博物館は作られたのです。

 中国では文章だけ刻まれた記念碑、仏像、門の台座、お墓、動物の彫刻などをすべて石刻芸術と呼んでいます。お墓に行くと石造りのトラ、ゾウ、ラクダなどが並んでいるのを見たことがあると思います。明の13陵にいった方なら、お分かりですね。

老舎記念館(上)

中国文学界の巨匠ともいっていい老舎。今回の博物館めぐりは、「老舎記念館」の紹介です。彼が新中国の成立後から、1966年に亡くなるまでの16年間を過ごした場所が、記念館になっています。

 王府井を北に向かってぶらぶら。15分もすると賑やかさが薄れ、灯市口大街と交差します。右側は大きなホテルです。この交差点を左に曲がると、南北にいくつもの胡同が現れます。豊富胡同19号、この中の四合院で老舎は暮らしていました。建物は1984年に市の文化財に指定され、その後、遺族が老舎の愛用品やいろんな資料とともに市に寄付し、これを受けて1999年に老舎記念館として一般公開されるようになりました。  

 老舎は1899年2月3日の北京生まれ。本名は舒慶春といい、生まれた翌日が立春だったことから、家族はこの名前をつけたそうです。家は貧しく、親戚の援助で小学校に行くことができました。こうした環境が、後に老舎の作品に影響を与えた、といえるでしょう。感謝の気持ちをこめて、こんな文章を残しています。

 「彼がいなかったら、私は一生入学できず、本を読むこともできないかもしれない。彼がいなかったら、私は永遠に、他人を助けてあげることはどんなに楽しく意義があることかに気づかないかもしれない」

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