皆さんこんにちは、「songyun.org中国語教室」というコーナーを始めました。このコーナーでは中国に関する知識や中国語の勉強方法などをご紹介いたしますので、このウェーブサイトを有効にご利用していただき、この中国語教室が皆様のお役にたちますように心より願っています。

私も日々日本語と英語を勉強していきたいと思っておりますので、今後とも、よろしくお願いいたします。

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天才の作家蘇軾

蘇軾は字が子膽、東坡居士と号する。四川省眉山県の人。父親は著名な古文家で、そのため家庭の教育がよかった蘇軾は子供のころから大志を抱いていた。官吏として使えるようになると、悪政の改革に熱心に取り組み、国の安定のために奮闘した。地方の官僚や宮廷の大臣として悪政の除去と改革を推し進めた。

蘇軾は豪放な性格で、朝廷の誤りを直接に出していうので、宮廷の派閥闘争の犠牲となった。生涯の半分は度重なる政治的苦難に苦しめられた。43歳から幾たびも流刑に処され、流刑先は次第に遠くなり、環境はますます厳しいものになった。苛酷な生涯の中で、蘇軾は中国の儒教、仏教、道教というの三つの宗教哲学をマスターし、楽観的な姿勢で人生の苦しみに臨む解脱の境地を開くと共に、理想を堅持し、美しい物事への追及を堅持することができた。これによって、蘇軾は自らの人格と節操を守り、厳しい外部からの圧力にも耐えることができたのである。

 
蘇軾は表も裏も一致する人柄で、性格は気骨があり、古い観念に捉われなかった。こうした人格と心理は、中国の封建主義の後期における文人から非常に羨望されるようになった。いわゆる「東坡模範」は中国で800年余りも流行した。

 

中国人のお茶を飲む習慣

中国ではお茶を飲む歴史は四千年余り前を遡ることができる。お茶は中国人の日常生活に欠かせないものである。中国では昔から薪、米、油、塩、醤油、酢、お茶は日常生活に欠かせないものとされている。お茶は人々の生活に重要な位置を占めている。また、中国人はお茶でお客さんを招待する習慣もある。お客さんが来ると、まずいい香りをするお茶を立て、飲みならが話をする。これは愉快なことだ。
話によると、紀元280年前、中国の南方には呉という小さな国がある。国王は大臣を宴会に招待する時、よくお酒を酔っ払うまで飲ませた。大臣の中に、酒に弱い韦昭という人がいたが、国王は酒の変わりに彼にお茶を飲ませたのだ。それで文人墨客の間にお茶で客を招待することがはやった。唐の時代になると、お茶を飲む習慣が定着するようになった。茶を飲む習慣は仏教ともかかわりがあるそうだ。紀元713から741年間の間、寺院では、和尚さんと信者達は座禅する時、よく眠くなったのだ。これを見て、1人の年長の和尚さんは彼らにお茶を飲ませた。すると皆が元気がでたのだ。この方法はまもなく、各地に広がった。これと同時に金持ちの家では、専門的にお茶を飲む茶室が設けられた。
紀元780年ごろ、唐の時代の陸羽はお茶の栽培や製造、飲用について中国初の本『茶経』を書いた。

中国の民間物語・後羿、太陽を射る

 太古の時代、空には十個の太陽が同時に昇り、その強い日差しは大地を焼き焦がし、畑の作物は枯れ、人々は暑さのために息もできず、次々と気絶して倒れていった。また沢山の妖怪や猛獣たちも、枯れた湖や蒸し暑い森林から現れ、人々に害を与えていた。

黄帝、蚩尤と戦う・民間物語

いまから数千年前、中国の黄河、長江の流域には多くの氏族や部落が集り住んでいた。中でも黄帝は黄河流域で最も知られた部落の首領で、もう一人の有名な首領が、黄帝の兄弟である炎帝だった。一方、長江流域には九黎族という部族がいて、その首領は蚩尤といい、非常に強かった。

中国の民間物語・誇父、日を追う

太古の時代、北方の荒れた原野に雲に届くような高くそびえた山があり、深い森にはすごい力をもつ巨人たちがいた。彼らの首領は両耳に金色の蛇を吊るし、両手には金の蛇を握っており、その名は誇父という。したがってその一族の名も誇父族である。誇父族の人々は心が優しく、勤勉な上勇敢で、他人と争い事をせず、自由自在に暮らしていた。

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