韓信の股くぐり
紀元前2世紀の秦王朝は、中国史上初めて統一を成し遂げた封建王朝で、中国の万里の長城はこの時代に造られた。しかし、親子二代の皇帝の暴政により、秦の支配はわずか15年で終わってしまうのだ。秦の末期、各地で農民蜂起が起こり、多くの英雄が現れたが、韓信は中でも名を馳せた軍事的統帥であった。
韓信は中国古代の著名な武将だが、彼は生まれは貧しく、幼いときに両親を失った。韓信はのちに軍事上で大きな手柄を立てる前は、商いもできず、農民もいやだったことから、貧しく見下げられる暮らしをおくり、いつも腹をすかしていた。ある日、彼は地元の小役人と知り合いになり、この小役人の家へ行っては飯を食わしてもらっていたが、韓信に反感を抱いていた小役人の妻が、食事の時間を繰り上げ、韓信が飯を食いにいったときには、飯はなくなったいたことから、怒った韓信は、この小役人と絶交してしまった。