皆さんこんにちは、「songyun.org中国語教室」というコーナーを始めました。このコーナーでは中国に関する知識や中国語の勉強方法などをご紹介いたしますので、このウェーブサイトを有効にご利用していただき、この中国語教室が皆様のお役にたちますように心より願っています。

私も日々日本語と英語を勉強していきたいと思っておりますので、今後とも、よろしくお願いいたします。

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井戸の中の蛙

 ある浅い井戸に一匹の蛙が住み着き、楽しい日々を送っていた。ある日、蛙は東海からやってきた一匹の海がめに「ここは毎日楽しいぞ!遊ぶときは柵の上を飛びまわり、休みたいのなら井戸の壁の欠けた瓦で休み、泥を踏んでも、足をとられるまで沈まないぞ。それに比べ、あの小さな虫けら、蟹とオタマジャクシなどは、まったく私には及ばないよ!それに、私はこの溝の水を独り占めにしており、飛びたいときは飛び、休みたいときは休むんだ。本当に素晴らしい!お前さんも井戸に降りてきて見物して行かないか?」と自慢した。

  そこで海がめは右足を井戸に踏み入れてようとしたが、まだ左足を入れていないというのにもう右足が挟まれてしまった。そこで海がめは井戸に降りるのはやめて、蛙に、「遥か千里といえば遠いと思うだろう?だが、それは海の広さを表せない。千仞といえば高いが、海の深さはそれでは表せない。夏の禹時代にすごい洪水で氾濫したが、海の水は少しも増えなかった。商湯時代に八年中七年は日照りに襲われたが、海の水は少しも減らなかった。永久なる海は、どんなに月日が流れても変わらず、どんなに雨が多くとも海面は高くならないんだぞ。これこそが東海に住む私の一番の楽しささ!」と海亀は言ったという。。

蛇を画いて足を添える

  古代、楚の国のある貴族が、先祖を祭ったあとの礼として手伝いにきてくれた食客たちに、一壷の酒を贈った。そこで食客たちで、「みんなで分けて飲んでは足りないので、一人が飲めば、まだ余るというもの。そこで、みんなで地面の蛇を描き、最初に描き終わったやつがこの酒を全部飲むということにしよう」と話が決まった。

やがて、一人が最初に蛇を描き終えた。そこで彼は酒を飲もうと酒壷を手にしたが、自分が一番早く描き終わったことを自慢したく、「見ろよ、私にはまた蛇に足を添える余裕があるぞ」と言って、蛇に足を画く加えた。

 と、彼が書く加え終わらないうちに、もう一人が蛇を描き終え、彼の手から酒壷を奪い取り、「もともと蛇には足がない、そうして余計なことをした!」と言って一気に酒を飲み干した。蛇に足を書き加えた食客は、自分が飲むべき酒をなくしたのである。

 この寓話は、何をしようにしても、具体的な要求と明確な目標を持ち、しっかりした意志でそれを求め、完成させるべきであり、勝利に酔うばかりでは、必ず失敗を招いてしまうと人々に教えている。

乾陵の無字碑

 中国西部の陜西省渭河の北にある乾陵は、中国の2000年以上にわたる封建的歴史の中で、唯一つの、二人の帝王が、それも夫婦である皇帝が共に埋葬された陵墓である。則天武后は中国史上唯一の女性皇帝であり、伝奇的生涯を送った彼女の死後、この陵墓の前に巨大ながを建てられたが、文字は書き入れられてないので、「無字碑」と呼ばれている。そして、乾陵はいま世界文化遺産リストにその名を並べるため申請が行なわれているのだ。

 則天武后は西暦624年に生まれ、14歳で王宮に召され、唐代二代目の皇帝である太宗帝の妾妃となったが、彼女は早くからその気丈な性格を表していた。当時、太宗帝は、一頭の誰もが馴らせない荒馬をもっていたが、彼女は「鉄の鞭と匕首で、私が馴らしてみましょう。まず鉄の鞭で馬を叩き、それでも言うこと聞かなければ、頭を叩くのです。それでも駄目ならば、最後は匕首で喉元を掻き切るのです」と言い出した。これに太宗帝は驚き、礼儀を守るべきで妃が言うべきことではないと思ったが、なんと皇太子の李治が自分より4つ年上の女性に恋心をもったのである。

瀋陽故宮の物語

  中国東北部にある瀋陽の故宮は、中国で現存する皇室宮殿の中で、その規模と保存状況が北京の故宮に次ぐ宮殿である。世界的に知られる北京の故宮との違いは、瀋陽の故宮は満州族の皇帝が建てたものであることから、独特の歴史的意義と深い民族色で人々を魅了している。

 瀋陽故宮は、中国東北部の遼寧省の省都瀋陽の昔の城内区の中心にあり、清代(1616~1911)の最初の王宮であり、独特な歴史性をもつ。17世紀に、中国北部の遊牧民族であった満州族が後金政権を確立し、後金の皇帝であるヌルハチが瀋陽を帝都にして王宮を建て、その息子であるホンタイジ(皇太極)が皇帝の座を継いだあと、後金の国号を「清」に変え、宮殿の建設を完成させ、それが瀋陽故宮となったのである。清の最初の皇帝ホンタイジとその息子福臨は瀋陽の故宮で即位した。のちに、清は中原に進出し明朝を打ち破り、中国の新しい中央政権となり、都も北京へと移し、清朝の皇帝も北京の故宮に住み着いた。瀋陽は清政府の副首都となり、瀋陽の故宮も「副都宮殿」と呼ばれるようになった。

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