皆さんこんにちは、「songyun.org中国語教室」というコーナーを始めました。このコーナーでは中国に関する知識や中国語の勉強方法などをご紹介いたしますので、このウェーブサイトを有効にご利用していただき、この中国語教室が皆様のお役にたちますように心より願っています。

私も日々日本語と英語を勉強していきたいと思っておりますので、今後とも、よろしくお願いいたします。

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中国人のお茶を飲む習慣

中国ではお茶を飲む歴史は四千年余り前を遡ることができる。お茶は中国人の日常生活に欠かせないものである。中国では昔から薪、米、油、塩、醤油、酢、お茶は日常生活に欠かせないものとされている。お茶は人々の生活に重要な位置を占めている。また、中国人はお茶でお客さんを招待する習慣もある。お客さんが来ると、まずいい香りをするお茶を立て、飲みならが話をする。これは愉快なことだ。

針灸

 針灸は中国伝統的医学の重要な一部分である。最初に1つの医療手段として使用され、その後、だんだん1つの学問となってきた。針灸学とは、針灸医療技術及びその臨床応用規則と基礎理論を整理し、まとめた科学である。

漢方医の歴史

   中国の伝統医学のうち、漢民族の医学は歴史が最も長く、その実践経験と理論認識も最も豊かである。

 漢方医が中国の黄河流域から起源し、早くから、学術システムが形成させた。漢方医は長い発展段階の中で、異なった発明があって、多くの著名な漢方医、数多くの重要な学派や名作が現れてきた。

   年前の殷墟時代の甲骨文の中に、医療衛生や数十種類の病気についての記載がある。周の時代に入って、見る、嗅ぐ、聞く、切る(脈を取る)などの問診方法と薬物、針灸、手術などの治療方法が使われていた。

 秦と漢の時代に、「皇帝内経」という漢方の体系理論に備えた医学著作も出ており、これは、今まで残っている最も古い漢方医の理論的な古典著作である。その後、張仲景氏が記した「腸チフス雑病論」は数多くの雑病の診断や治療原則を専門的に論及し、後世の臨床医学の発展に基礎を定めた。漢の時代になって、漢方医学の外科医がすでに高いレベルに達した。

秦の始皇帝陵の謎

  秦の始皇陵(始皇帝のお墓)は陝西省臨潼県より東5キロの宴寨郷にあり、驪山の北、渭水の南に当たる。始皇帝陵を空から見下ろすと、まるでピラミッドのようでスケールが大きいものである。

 始皇帝陵内部の仕切りと構造は秦の都咸陽(今の西安)とそっくりで、地下の宮殿、内外の城壁、いずれも咸陽を真似て建造されたものである。始皇帝陵の本体と周辺の副葬地区は66.25平方キロに及び、現在の西安の都市面積の2倍に当たる。

破鏡重円

  鏡は中国の伝統的文学では満月を意味し、鏡を持ってその人物の何一つ欠点のない品性を形容し、時には人の心は鏡のようにきれいだとか、鏡のようにはっきりしているという。成語の「破鏡重円」は分かれた夫婦がまたもいっしょになることを云う。

 時は西暦9世紀。当時、中国の北方には強大な隋の国があり、南方にはいくつかの小さな国があって、国都が建康(今の南京)にある陳の国はそのうちの一つ。隋はこれら南方の国に対し虎視眈々とし、中国を統一しようを狙っていた。

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