皆さんこんにちは、「songyun.org中国語教室」というコーナーを始めました。このコーナーでは中国に関する知識や中国語の勉強方法などをご紹介いたしますので、このウェーブサイトを有効にご利用していただき、この中国語教室が皆様のお役にたちますように心より願っています。

私も日々日本語と英語を勉強していきたいと思っておりますので、今後とも、よろしくお願いいたします。

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中国古代の女性作家~李清照①

李清照(1084年~1155年)は中国で、最も偉大な女性文学者の一人です。李清照は北宋末期から南宋初期に生きていました。その時、一番隆盛したのは、宋詞です。「詞」は字数、句数、押韻の決まったパターンに字を当て嵌めて作る韻文です。曲にあわせて書かれます。当時では全部歌になって歌うことができました。なので、歌謡文芸の一つとも呼ばれます。

 李清照は現在の山東省済南市の所轄、章丘市に生まれました。その父親も文学者として有名です。家にはたくさんの書籍を収蔵しています。そんな家で豊かで天真爛漫な幼少時代を送りました。18歳の時、結婚しました。夫は当時太学の学生だった趙明誠です。太学とは当時の中国の一番レベルの高い教育機関です。日本で言えば東京大学、今の中国で言えば、北京大学か清華大学に当たると思います。趙明誠は当時学生でありながら、鐘や鼎、石碑などに刻されている古代の文字を研究する金石学者として、すでに名が知られていました。二人は書画の収集・整理など学術研究の分野で同じような趣味を持っています。それが、夫婦円満の秘訣となり、幸せな結婚生活を送っていました。後に清照は夫の著作『金石録』の編纂を手伝う事になりました。しかし、結婚1年後、政争のために、夫とやむを得ず別居するようになり、二、三年の間分かれて過ごしました。

中国古代の女性作家~李清照

李清照は北宋の末期から南宋の初期に生きていました。文人の家に生まれ、天真爛漫な少女時代をすごしました。そして、素敵な知識人の男性、趙明誠と結婚して、文化財の収集という共通の趣味を持ち、幸せな結婚生活を送っていました。

 しかし、李清照にとって、このような幸せな人生は44歳まででした。その後の人生は、国の動乱に翻弄され、波乱万丈なものになりました。それに影響され、清照の作風もガラッ変わりました。

唐代の女流詩人~薛涛

「古典エナジー」、今日は、中国の中唐時代の女流詩人、薛涛の生い立ちやその詩をご紹介します。

 中唐時代とは

 唐の時代はとても長く、300年あまりにわたります。長いので大きく4つに分けられます。初唐(唐の初期)、盛唐(唐の絶頂期)、中唐と晩唐になります。

 長いだけあって、唐の時代には、いろいろな文化が花咲きました。その中で、詩が主な文学様式として栄えました。中唐の文壇では、白居易や、元稹(げんしん)、韓愈、李賀など、有名な詩人が輩出しました。詩風は前の時代よりもバリエーションを持つようになりました。その中で、一人の女流詩人が、その身分と才能によって、大勢の人々に注目されました。その女性は女流詩人薛涛(せつとう)です。

 薛涛の生い立ち

 768に生まれ、831年に63歳で亡くなりました。ちょうど中唐の時代に当たります。父の赴任と共に、蜀、今の四川省の省都、成都に来ました。

 小さいころから詩を作る才能があります。具体的にいいますと、しっかりと韻を踏み、内容や文字数、韻律が整った文を作ることを身に付いたという意味です。

鄒忌、斉王に見事に諫言

「古典エナジー」、中国古代の名人やその著書などをご紹介しています。長くて広い時空を超えて、彼らのすばらしい知恵を少し汲み取ろうという企画です。今日も、中国春秋時代の有名人の一人をご紹介します。

 中国の春秋時代、史書『春秋』に由来する時代の区分ですが、紀元前770年~紀元前403年までです。その時には、周王朝が崩壊する中、日本の戦国時代の大名に当たる諸侯が、覇権を争いあいました。そんな中、さまざまな思想がぶつかりあい、一躍有名になった政治家や思想家がたくさんでました。今日ご紹介するのは、政治家の物語です。漢の時代に編纂された史書『戦国策』に記録されています。登場する主人公は、鄒忌(すうき)といいます。

 鄒忌(すうき)は、身長が180センチを超え、目鼻立ちがはっきりし、気品のある美男子です。ある日の朝、鄒忌は服を着て冠を整えた後、しばらく鏡を見ながら、自分の姿を見つめていました。そして、隣にいる妻に尋ねてみました。「私とこの町の北に住んでいる徐公(徐君平)を比べると、どっちが美男子と思うか?」彼の妻は答えました。「あなたはとっても素敵ですわ。徐公はどうみてもあなたに及ばないのよ。」

触龍、趙太後を説得

時代背景:

 戦国時代、趙の国では王が亡くなりました。即位した新しい王は年が若く、まだ少年でした。幸い若い王の母親はとても才能がある女性で、王に代わりまつりごとを処理しています。政権交代によって趙国の政治がいささか不安定な時期を狙って、秦は趙へ侵略戦争を仕掛け、一挙に三つの城を占領しました。非常に危ない情勢となったため、趙は仲のいい斉の国に、支援を要請しました。しかし、斉の国は「支援を承諾するが、ただし、条件がある」として、趙太後の末っ子、長安君を人質として斉に送ることを求めます。趙太後は長安君を非常にかわいがっていますので、どうしても許可せず、国の情勢はいっそう危うくなっていきます。大臣触龍がこんな時に、太後を説得し、最愛の末っ子を人質として斉に行かせ、趙の危機を脱しました。

物語:

 趙太後が政権を握ったばかりの時のことです。秦は趙を攻めてきたので、趙太後は斉に救援を求めました。斉は長安君が人質になることを求めて、出兵を控えていました。趙太後がこの条件を承諾しないため、大臣たちは極力諫言をしようとしています。太後は激怒し、「今後、誰かまた長安君を人質に差し出そうと言うなら、その顔に唾を吐いてやりますぞ!」と、周りの人に話しました。

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