九死一生(きゅうしいっしょう)
Submitted by whenis on Wed, 05/08/2019 - 16:58九割、助からない命が、かろうじて助かること。死ぬ可能性が九分、生きる可能性が一分の意味です。死を避けがたい危険な瀬戸際に立っているということも形容します。
日本語では、中国語の四字熟語「九死一生」から転じて、一般的には「九死に一生を得る」という諺の形で用いることが多いです。
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私も日々日本語と英語を勉強していきたいと思っておりますので、今後とも、よろしくお願いいたします。
九割、助からない命が、かろうじて助かること。死ぬ可能性が九分、生きる可能性が一分の意味です。死を避けがたい危険な瀬戸際に立っているということも形容します。
日本語では、中国語の四字熟語「九死一生」から転じて、一般的には「九死に一生を得る」という諺の形で用いることが多いです。
「三教九流」は、宗教・学術上の各種の流派、色々な職業の人を表します。
三教とは、中国で流行っていた儒教、道教と仏教を指します。中国の儒教って、あんまり宗教としては意識していないですが、儒教は宗教と言えるかどうか、昔から論争があります。いずれにしても、儒教は宗教よりも、中国、ひいては中国文化圏では、絶大な影響力を持っていることには間違いありませんね。
また、九流という言い方は、一番最初に、『漢書』に出たものです。中国の春秋戦国時代、色々な思想流派が争う「百家争鳴」の時代だったのです。
「百家争鳴」の「百家」は、実際、百種類がなく、6流派でした。陰陽家、儒家、墨家(ぼくか)、法家、名家と道家でした。『漢書』の編纂者、班固(はんこ)は、この6家に、更に、3家を加え、「九流」に分類しました。班固によって加えられた3家は、縦横家、雑家と農家です。
要するに、春秋戦国時代のあらゆる思想流派ですね。なので、「三教九流」は、宗教と学術面の各流派及び社会の各職業の総称となります。
牛にはたくさんの毛がありますよね。九匹の牛なら、更に九倍の毛になります。たくさんある中で、たった1本の毛は、どんなに少ないかってことがよく分かりますね。たくさんいる牛に生えた多くの毛の中の一本という意味から、問題にならないほどの小さなことを表す四字熟語です。取るに足りない些細なことを形容します。
中国語の古語には、数字はいつも確かな数ではなく、「多い」或いは「少ない」という漠然とした意味を表すことが多いです。ですから、この言葉では、「九牛」は九匹の牛ではなく、九匹よりもずっと多くの牛、たくさんの牛を指します。そうすると、「九牛」は、広い範囲となります。そんな広いものに対する一毛というのが、極端に言えば誤差のような物の数にも入らない、くだらないものですね。
中国で初めてこの「九牛一毛」を使った人は、『史記』を書いた偉大な歴史学者、司馬遷です。司馬遷は、歴史書『史記』を編纂し、大きな功績を残しましたが、個人的な運命は挫折ばかりでした。
司馬遷は、北方の少数民族、匈奴との戦争で失敗し、捕虜となった李陵(りりょう)を弁護したため、当時の皇帝、前漢の武帝の怒りに触れました。宮刑、これは男性を去勢する刑罰ですが、当時では死刑に次ぐ重刑です。司馬遷は、そんな屈辱的な宮刑を処されました。
「八斗之才」。斗とは、中国古代の計量単位の一つです。八斗もの才能を持っている。非常に才能があるということです。
斗の他に、石と書いて、コクと呼ぶ計量単位もあります。1石=10斗です。
「八斗の才」の出典と言いますと、南北朝の時代の南朝、宋の有名な詩人、謝霊運にまつわる話です。
謝霊運は名門貴族の出で、祖父の謝玄が東晋を北方異民族の侵入から救った英雄として名高い人です。謝霊運自身は南北朝時代を代表する詩人です。特に彼が書いた山水詩が有名です。「八斗之才」は、彼は三国時代の魏の曹植を褒めたときに使った言葉です。
曹植は曹操の息子で、文学の才能が非常に高い人です。謝霊運は曹植の才能をほめて、「天下の詩の才の全体を一石とすると、八斗は曹植、一斗は自分、残りの一斗を他の詩人が受け持っている」と言いました。
「八斗之才」はこんな故事から来ています。まあ、謝霊運は確かに曹植の才能を非常に評価して尊敬していますが、自分は一斗の才を持っている。しかし、天下の詩人は残りの一斗を分けている。ということを考えますと、謙遜しているような、自慢しているような、どっちか分からなくなってしまいますね。
日本語の「八」を含む四字熟語と言いますと、「八方美人」を思い出しますが。。。中国語にも「八方美人」と同じ意味の四字熟語もあります。「八面玲瓏」です。もともとの意味は窓が多いため、どこから見ても透き通っていることを表します。それから転じて、人との付き合い方は融通が効き、だれにでもやさしく接することを表します。
人を形容するときに、一般的にマイナスな意味で使われます。日本語と全く同じです。ちなみに、「八面玲瓏」の出典と言いますと、マイナスな意味ではなく、いい意味でした。これは元の時代の詩人、馬熙(ばき)の詩「開窓看雨」(窓を開けて雨を見る)から来ています。詩の中では、"八面玲瓏多得月"、部屋の八方から美しい月が見えると詠んでいます。玲瓏とは玉の鳴る音、またそのような美しさという意味です。
もともとの意味はとても美しいことですが、今は、「八方美人」というマイナスな意味となって、ちょっと残念です。