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皆さんこんにちは、「songyun.org中国語教室」というコーナーを始めました。このコーナーでは中国に関する知識や中国語の勉強方法などをご紹介いたしますので、このウェーブサイトを有効にご利用していただき、この中国語教室が皆様のお役にたちますように心より願っています。

私も日々日本語と英語を勉強していきたいと思っておりますので、今後とも、よろしくお願いいたします。

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北京地下鉄のたび ―西単駅―

西単は現在、若者に一番人気のエリアであり、昔から商業地区として栄えてきた場所です。周囲には高層ビルが林立し、人の流れも多く、北京で西単の名前を知らない人はいないぐらいですが、その名前の由来を知る人はあまりいません。

 元々ここには、牌楼と呼ばれる木で作られた屋根つきの門がありました。これが西単牌楼と名づけられ、人々には「西単」と呼ばれました。西単牌楼には、「眺雲」の二文字が、そして、対として東に作られた東単牌楼には、「就日」の二文字が掲げられました。これは「東に日の出を見、西に彩雲を見る」という意味です。1916年、袁世凱がこの二文字をそれぞれ「景星」と「慶雲」に改めたというエピソードも残っています。1954年に学者らの反対があったにも関わらず、道路拡張のため、撤去され、「西単」、「東単」の名前だけが残りました。

 北京オリンピックが開催された2008年に、西単文化広場に新たに西単牌楼が再建されました。

 観光スポット

 民族文化宮博物館

 1959年に、中国成立10周年記念の十大建築の一つとして建てられました。全国55民族の文物およそ5万件を収蔵しています。収蔵品の種類と量は国内の民族博物館の中でも群を抜いています。

老舎記念館(下)

「老舎記念館」の張文生さんの案内で、中の散策を続けましょう。正面の母屋は生活の拠点でしたが、両脇の部屋には、老舎の足跡や作品が並んでいます。老舎が苦労して学校を出たことは前回、お伝えしましたが、最初から小説を書いたわけではなく、北京や天津で教育の仕事に携わりました。1924年から5年間は、イギリスのロンドン大学東方学院に招かれ、中国語を教え、ひまを見つけては創作活動に取り組みました。

 1930年に中国に戻った老舎は、山東省の大学で教鞭をとり始めました。夫人と知り合ったのもこの時代。職業作家としてはじめて取り組んだ作品「駱駝祥子」もこのころのものです。この作品は日本でも翻訳、出版されており、映画も公開されました。舞台は旧社会の北京です。農村育ちで身寄りもない祥子が、北京に出てきて人力車夫になります。必死で働き、お金をため、底辺の生活から脱出を果たそうとする祥子。しかし、次々に襲ってくる悲惨な運命。人をけだもののように変えた旧社会を強く非難するメッセージを発した作品でした。

 張文生さんによりますと、老舎は生涯で900万字にのぼる作品を残したそうです。それがすべて、出版されているわけではありません。抗日戦争の多くの文芸作品を書き、新中国成立後は新劇作品にも取り組みました。いま、彼の作品は38カ国語に訳されているそうです。

中国現代文学館

地図を見ていたら、「文学館路」と名づけられた道が、北京にありました。その中央に「中国現代文学館」があるので、早速ここを訪ねてみることにしました。

「そうですよ。わが博物館にちなんで道路の名前がつけられたんです。こういう例はあまりないでしょう」と自慢げに迎えてくれたのは、副館長の李栄勝さんです。この博物館は2000年にオープンしたばかりで、まさに中国の現代文学を知るにはうってつけの場所です。  

 文学館の必要性については、著名な作家・巴金が1980年代から提唱していました。85年には万寿寺の中に看板を掲げ、少しずつ準備が進められてきました。この願いがかない、文学館の正門前には左右8メートル、高さ2メートル、重さはなんと50トンもある石碑が置かれ、巴金自筆の文字が刻まれています。  

「我々は文学の宝庫を持っている。それは中国の作家たちが後世に残した傑作である。それらの作品は我々を支え、育て、励ましてくれる。この世に生きている一人ひとりが、他人に対してもっと役に立つよう育ててくれる」といった意味です。

故宮シリーズ

故宮を見学するとき、その正門の午門から入って、北のほうの神武門から出るという一本道を取るのが一般的ですが。景山公園はつまり、出口を出てすぐの道の向こう側にある小さな公園です。景山はその中にある小高い山です。この丘は43メートルあり、そんなに高くないですが、頂上に建てられた万春亭からの眺めは抜群でよく知られています。そこで、故宮の全景を見下ろすことができるほか、周りの景色も一望でき、まさに北京一の展望台といえます。

 景山で見た故宮のパノラマ。言葉ではその感動さをうまく言い表せないほどです。梅原龍三郎が描いた「樹海の中の金色の甍(いらか)と赤い壁の楼閣の景観は世界無類潤オ」という紫禁城の展望は、景山公園よりのものでしょう。

 この山の東部では、明の時代の最後の皇帝が自殺したこともありますので、明の終結を意味する場所でもあります。町の向こう側に、明と清の繁栄を物語る宮殿の海、また、ラストエンペラーに出た広大な風景なのです。

 故宮は北京市の中心部に位置しており、南には天安門、北には景山、東には王府井、また、西には中南海という配置になります。ここは昔紫禁城と呼ばれ、明・清時代の帝王が居住する王宮であり、中国に現存する規模がもっとも大きく、もっとも完全な古代木造建築群です。1987年、「世界遺産リスト」に指定されました。

京城百工博物館

切り絵、中国流にいえば剪紙となりますが、彫り物、陶磁器など中国の旅の帰りのお土産は豊富で多彩です。大量生産のものもありますが、手作業で一つ一つ丁寧に作られているものも多いようです。今回紹介する「北京京城百工坊」は、まさに民間芸術、伝統技術が凝縮した世界です。

 大型活動弁公室の王主任によりますと、京城百工坊は2003年11月に、古い工場の建物を再利用してオープンしました。工坊は、日本語では「工房」が当てはまるようです。北京に伝わる民間芸術、工芸品の師匠さんや職人さんが勢揃いしているというわけです。その中でも、中国工芸美術大師という肩書きを持つ人が、北京には100人ほどいるそうです。

 この建物の中は30室ほどに区切られています。早速、のぞいてみましょう。「葫芦坊」、瓢箪(ひょうたん)のことです。ひょうたんは、水や酒を飲むグラスとして使われたり、水をすくう生活の道具でした。乾燥した表面に絵を書き、飾り物として、珍しい民芸品になっています。この部屋には、たくさんのひょうたんがぶらさがっていました。

 「泥人形坊」。これは泥で作る人形や動物類の制作室です。京劇の役者の顔面を並べた人形もここで作られていました。

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