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皆さんこんにちは、「songyun.org中国語教室」というコーナーを始めました。このコーナーでは中国に関する知識や中国語の勉強方法などをご紹介いたしますので、このウェーブサイトを有効にご利用していただき、この中国語教室が皆様のお役にたちますように心より願っています。

私も日々日本語と英語を勉強していきたいと思っておりますので、今後とも、よろしくお願いいたします。

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北京の地下鉄の旅 -魏公村駅-

文献考証によると、魏公村は元代にはすでにあり、明、清時代そして今へと続いています。でも、明、清の時代は畏吾村と呼ばれていました。魏公村の成り立ちは、古代ウイグル人と深く関係しています。元代、フビライの腹心で丞相だった古代ウイグル人の蒙速思は、死後、現在の魏公村付近に葬られました。その後一族も同じ地に葬られ、次第にここは一族の墓地へとなり、規模が広がっていきました。やがて、その周りに古代ウイグル人が住み着き、畏吾村へとなったのです。民国時代に入り、人々の考えも変わり市内の古い呼び名も変更され、最終的に魏公村となりました。

観光スポット ーー大慧寺

 大慧寺は1513年に建てられすでに500年の歴史があります。境内には、銅製の仏像があるため、「大仏寺」とも呼ばれています。大悲殿には、明代の3大芸術があります。建築、彩色された塑像、絵画です。これらは今もなお鑑賞価値と芸術的魅力を持っています。このほか大殿の東、北、西の三方の壁に前には28体の仏教を守る神像があります。1957年に北京市の重要文化財に指定されました。

中央民族大学民族博物館

北京の地下鉄の旅 -中関村駅―

中関村駅(中关村站)

 中関村という言葉を聞いて、人々が真っ先に思いつくのは、デジタル製品やハイテク企業、または中国のシリコンバレーといった類の言葉でしょう。でも中関村の名前の由来について知る人は少ないでしょう。考証によれば、明時代に源を発し、宮廷の宦官が今の中関村一帯を買い上げ、共同墓地をつくりました。明清時代に宦官は「中官」と呼ばれていたため、人々はこの墓地を「中官墳(中官の墓)」と呼びました。このほか宦官が廟や隠居のための庄園をつくり、「中官の村」と呼ばれたという説もあります。1980年10月23日に、中国科学院の研究員、陳春先氏が他に先駆けてここに民間の科学機構を設立しました。ここから「中国のシリコンバレー」と言われるようになった中関村の新しい歴史が始まったのです。

 グルメ

 中8楼

 雲南の特色を生かした料理と軽食のお店。竹に入ったお酒や、米線(米で作った面)が人気。

 場所:北京市海淀区中関村広場歩行街R17号

 焦葉(焦叶)

 タイ料理レストラン。店内もタイを思わすようなインテリアで、タイ舞踊などのパフォーマンスも楽しめる。

北京の地下鉄の旅 ―北京大学東門駅―

北京大学東門駅(北京大学东门站)

 もし、歴史を遡り他の可能性を選択していたとしたら、今日の北京大学東門駅は、燕京大東門駅と呼ばれていたかもしれません。燕京大学は1919年に設立され、その前身はアメリカ教会が北京に設立した3つの教会学校でした。匯文大学、華北協和女子大学、通州協和大学の3つの大学は1920年に合併し、燕京大学となりました。初代校長に就任したのは、南京で金陵神学院で司教を務めていたジョン・スチュワートでした。

 スチュワートは西側で調達した資金で、北京の西にあった清王朝付属の園林を買い上げました。そしてアメリカから建築家を呼び寄せ、中国で最も大きく、環境に恵まれた美しいキャンパスをつくりました。1952年に全国で学校に対する調整が行われ、燕京大学は解体、文科、理科は北京大学へ、工科は清華大学へと吸収されました。当時のキャンパスは現在の北京大学のキャンパスとなっています。

 観光スポット

 北京大学

北京の地下鉄の旅 ―円明園駅―

円明園は清の康煕46年(1707年)に建設され、円明、長春、万春の3つの園から成っていました。150年あまり続いた清王朝が創建、運営した大型の皇室庭園です。円明園は康煕帝が名づけたものです。この庭園は中国3000年の伝統的な造園を継承しており、かつヨーロッパ建築様式を吸収し、多様な風格が一体となった庭園です。「全ての造園は芸術のお手本」と称えられました。また円明園は珍しい草花や木がある庭でした。庭園内には、貴重な植物が数百万株も植えられ、円明園を目の当たりにした外国人から「庭園の中の庭園」と呼ばれていました。

 そしてここは、皇室の博物館、芸術館でもあり、多くの貴重な宝、図書、芸術の傑作が収蔵されていました。

 しかし、1860年10月6日に英仏連合軍の破壊と略奪を受け、神話のように美しかった円明園は廃墟と化しました。

観光スポット

 円明園(圆明园)

 世界の片隅に、奇跡が存在します。この奇跡は「円明園」と呼ばれています。

団結湖駅(团结湖站)

現在の団結湖は50年代以前は炭鉱の坑道でした。1958年に朝陽区の行政委員会は多数の人間を動員しこの古い坑道を湖へと作り変えました。そして団結湖と命名されました。その後、湖の西部が緑地化され1981年に団結湖公園の建設が決定しました。

 1つ注意しなければならないのは、確かに地下鉄10号線の駅名はこの公園に由来していますが、実際の団結湖に行くには、その1つ南の「呼家楼」の方が便利です。実は地下鉄建設当時、この駅は「工体北路駅」と呼ばれていました。しかし、もっとぴったりの名前は「三里屯」駅です。三里屯は北京のカフェ、バー街として有名な場所で、若者と多くの外国人が訪れる人気スポットです。買い物も楽しめるこのエリアに新しく建てられたショッピングモールはユニークな外観でひときわ目立っています。

観光スポット

朝陽公園(朝阳公园)

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