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皆さんこんにちは、「songyun.org中国語教室」というコーナーを始めました。このコーナーでは中国に関する知識や中国語の勉強方法などをご紹介いたしますので、このウェーブサイトを有効にご利用していただき、この中国語教室が皆様のお役にたちますように心より願っています。

私も日々日本語と英語を勉強していきたいと思っておりますので、今後とも、よろしくお願いいたします。

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你咋不上天呢

你咋不上天呢(nǐ zǎ bú shàng tiān ne)

意味

ネットの流行語。

そもそも東北方言で、インターネットで広がった。直訳すれば、「なぜ空に上がらないの」になる。「そんなにすごいのなら、天に昇れば=神様になれば」と言った感じだが使う場合によって、ニュアンスが少しずつ異なる。

これは、色々と日本語に訳され、例えば「天国へどうぞ」、「天国へ行ったら」、「空へ飛んだら」、「お前はそんなにすごいなら、天国に行ったらどう」、「天国へ行ってらっしゃい」、「君、なぜ天国へ行かないの」、「馬鹿!何を考えているの」など。

日本語的には「いい加減にしろ」、「調子に乗るな」、「何を考えているの」と言ったものがのほうが近いだろう。

使い方

醉酒还劫机,你咋不上天呢?

北風行

作者、李白は盛唐の詩人。日本でも大変、有名ですね。唐の文化の最盛期とも言える時代の人です。この詩「北風行」の行は行人、戦死して帰らぬ夫のことを描いた少し長い詩で、今回は一部を紹介しました。燕山は河北省の河北平野の北を囲むようにそびえる山々のこと。席という文字は、筵、ござのこと。雪の一片が大きいことを言っています。軒轅台は中華民族の始祖と言われる黄帝の衣冠を埋めた塚のこと、お墓のようなものです。幽州は今の河北省辺りにあった地名。この詩は、日も差さない地に北風が吹きつけ、残された妻が自分もさみしく辛いけれども、夫が戦のため守っている万里の長城のある辺りはもっとずっと厳しいのでしょうと言っています。舞い散る雪を見て、わくわく出来るのは平和だからこそ。白い雪がいつまでも楽しさを連れてくるものでありますように。

灞陵行送別

作者、李白は盛唐の詩人。杜甫と並ぶ中国を代表する詩人で日本でもよく知られていますね。この時代の詩人、文人は役人だった人がほとんどですが、李白は違います。今日紹介した詩は、彼が40歳代前半に都長安に居た時に作られたものです。都にいたと言っても、官職についていた訳ではなく、いわゆる「宮廷詩人」としての身分でした。それでもやはり李白は、役人になりたかったのでしょう。この身分には満足はしていなかったようです。この時期の詩には「酒」を詠ったものが多く、飲み友達も多く飲中八仙などと呼ばれていました。灞水は、長安の東を流れる川の名前。終南山に源を発し北に流れ渭水に合流し、そして最後には黄河に合流します。この川は東に向かう人との別れの場だったと言います。紫闕は天子の住む宮殿のことで、ここでは都長安の宮殿を指しています。この詩は最後に断腸の思いでここに立つ。別れの歌を聞くに忍びないという言葉で締めくくられています。30歳代の頃に武漢で孟浩然を送った送別の詩に比べて、私には李白の心の動きがあまり伝わって来ません。年齢を経て別れに対する気持ちが落ち着いたのでしょうか、それとも宮廷詩人という立場が影響しているのでしょうか。

山中

作者、王維は盛唐の詩人。何度も紹介していますね。自然を詩に詠みこむことや山水画を得意としました。今日、紹介した詩は、そんな王維らしさがよく現れているのではないでしょうか。詩の中には「紅葉」の文字がありますが、目に浮かぶ情景は秋たけなわの艶々した紅葉ではなく、冷たい風に晒され枝に数枚残る紅葉です。荊渓は、地名です。湛然(たんねん)という天台宗の僧侶が住んでいた地です。王維も仏教に帰依していたといいますから、彼の詩にこの地名が登場するのも納得できます。夏の間はこんこんと流れていた水が秋、そして冬になると枯れて、川底の石さえも見えてしまうのでしょう。この白い石も艶々した白ではなく、ざらっとした冷たい感じがします。みどり深い山の中は、確かに太陽の光も届かず、湿っぽい感じがしますね。雨ではないのに、着ていたものがしっとり濡れる。ふるさと静岡の天城の山の中を歩いた時に、こんな感じだったような気がします。

独酌

作者、牧牧は晩唐の詩人。現在の陝西省西安の人。杜甫を「老杜」と呼んで、この杜牧を「小杜」ともいいます。歴史や風雅な景色を詩にしました。中でも「江 南の春」はとても有名で、江戸時代以降、日本でも好まれました。タイトルの「独酌」は、一人酒ということですね。とっくり片手に一人で日本酒と言うのは、 なんだか冬が似合う気がします。窓の外は、風混じりの雪とは、ずいぶん寒そうです。でも炉を擁してと有りますから、炉のある部屋で暖を取っているのでしょ う。始めに風雪の文字があったので、逆にずいぶん暖かそうに感じます。酒缸を開くの酒缸はお酒の甕です。ますます、身も心もぬくぬくしてきますね。ここま では、きっと作者の様子でしょう。後半は、風雪の中、船にいる漁師のことです。船の中で眠るのですが、こちらも不思議と寒さを感じません。ぬくぬくとした 室内でお酒を一人飲んでいる自分と、船にいる漁師。自分の方がよくて、漁師はかわいそうという雰囲気はなく、どっちがいいのか・・・と自分に問いかけてい るような詩です。無いものねだりかもしれませんね。でも、傲慢な感じはなく、私は、むしろ杜牧の優しさを感じます。

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