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皆さんこんにちは、「songyun.org中国語教室」というコーナーを始めました。このコーナーでは中国に関する知識や中国語の勉強方法などをご紹介いたしますので、このウェーブサイトを有効にご利用していただき、この中国語教室が皆様のお役にたちますように心より願っています。

私も日々日本語と英語を勉強していきたいと思っておりますので、今後とも、よろしくお願いいたします。

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玉階怨

作者、李白は盛唐の詩人。もう、何度も登場していてお馴染みかと思います。今回の詩は、李白が尊敬する南朝の詩人、謝朓(しゃちょう)の「玉階怨」を意識して作ったものです。この謝朓は名門貴族の出身で、役職を歴任しましたが、王位をめぐる政争に巻きこまれて獄死しました。タイトルの「玉階怨」は後宮の宮女がなかなか来ない皇帝の訪れを待ち侘びる怨みを歌う楽曲の名前です。玉階の玉とは大理石のことですから大理石でできた階段。待ちくたびれて部屋から大理石の階段のところまで出てきたのでしょう。羅襪は絹の靴下です。夜ずっと外にいて下りた露で靴下も濡れてしまったようです。大理石の階段や絹という言葉から、豪華な宮殿にいる宮女であることがわかります。却下しては、下ろしてという意味です。簾も水晶と、やはり豪華です。玲瓏は玉のように光り輝くことです。水晶の簾越しの光と月の光、どちらも来ない人を待つ宮女の気持ちを反映してか、光なのに冷たい感じがします。そんな冷たい光の中、冴え渡る月をひとりぼんやりと見るということですね。大理石や絹、水晶と豪華なものに囲まれても一人ぼっちはさみしいもの。ましてや夏が終わってひんやりとした空気に包まれ始めた今頃は、尚更かもしれません。

段子手

段子手(duàn zi shǒu)

「段子」はそもそも「相声(xiàng shēng)」中国の漫才の用語で、1つの作品の中の一節或いは一部を指す。今はその応用範囲が広くなって、中身も変わってきて「段子」はもともとの意味のほかに、ストーリーや笑い話の省略した言い方となっている。

「~手」は特殊な技能を持つ人、ある種の仕事に従事する人で、「段子手」は、つまり「段子」を書く人、書き手。「段子手」はほとんど「段子」を書くほかにも仕事があって、「段子」を書くのは作家になるための修行と考えている人もいる。

春夜洛城に笛を聞く

作者、李白は盛唐の詩人。杜甫と並んで日本でもとてもよく知られています。この番組でも何作も紹介しました。それでも、いろいろ調べていくと次から次へと彼の作品が見つかります。情景が目に浮かび、気持ちも伝わってくるような詩が多いように感じます。今回の詩もそうではないでしょうか。李白が34、5歳の頃。洛陽に半年ほど滞在した時の春に作られたものです。玉笛は、文字通り玉でできた笛、つまり高級な笛です。洛城は牡丹の花で有名な洛陽のこと。折柳は折楊柳という別れの悲しみ寂しさを歌った曲のことです。柳の枝は弾力があって丸く輪のようにでき終わりがない=別れがない、しなって折れずに元に戻ることなどから、中国では昔、旅立つ人が無事に帰ってくることを祈って、柳の枝を輪にして贈ったといいます。故園は故郷のことで、故園の情とは故郷をなつかしく思う気持ちです。この作品は、故郷を遠く離れ洛陽にいた李白が夜、眠れないでいると、どこからか笛の音が聞こえてくる。その曲は別れの名曲。これを聞いて、故郷を思わない人がいるだろうか。と問われれば、いいえ、誰でも故郷のことを懐かしく思い出しますよ。と答えたくなりますよね。冬の間は、寒くて夜になると早々と布団にもぐりこんでしまいますが、いつまでも外が薄暗い春の夜は、外に出て笛を吹いたり、床につかずぼっとしていたり。現代の私たちにも充分共感できませんか。

友谊的小船说翻就翻

友谊的小船说翻就翻(yǒu yì de xiǎo chuán shuō fān jìu fān)

意味

「友谊」は友情、英語的に言うと、フレンドシップになる。これが「友谊的小船」、友情の小船の由来。「翻船」は船が転覆すること、「说……就……」は構文で、「…を話題として取り上げるとすぐに…」或いは「(…の動作・状態が)あっという間に…する」意味。「友谊的小船说翻就翻」、直訳すれば、友情の船はあっという間に転覆する、つまり、友情は試練に耐えられなく、すぐに終わってしまう意味になる。

由来

これは最近、ソーシャルメディアで流行っている、漫画家の喃東尼が描いた「友谊的小船」にちなんだ言葉。漫画には灰色と黄色の太ったペンギンが一隻の小船に両端にバランスを取って乗っている。そのうちの一匹が突然やせたらどうなるかという考えから「友谊的小船说翻就翻」の漫画のきっかけになったという。

この漫画によって、漫画家の「微博」のファンの数はあっという間に93万人に上った。

範成大 秋日田園雑興

作者、範成大は南宋の詩人。今の江蘇省蘇州の人。陸游や楊万里と並んで南宋を代表する詩人です。夏には彼の「田園雑興」の中から「夏日」を紹介しました。1年間で60首あるうちの今回は「秋日」からの作品です。晩年は蘇州郊外の石湖のほとりで悠々自適の生活を送ったといいますが、今回は、その石湖からそう遠くない太湖遊覧の詩です。秋といえば、やはり月なのでしょう。範成大も秋の田園雑興のなかで中秋の名月を取り上げています。潜夫は、水に潜るのではなく、世間から潜っている隠者のこと。作者自身を言っているのでしょう。棹を空明に入れるとありますが、本物の空ではなく、空が映っている水面に入れています。身外は身の回り、船に乗っていて水と天、空と言うことは、身の回りの全てと言うことで1句目と呼応します。太陽の光が金や赤なら、月の光は銀や白ですね。空に浮かぶ名月と水面に映る名月と存分に楽しみながら、ふとにぎやかな城内、街中のことが気になります。街中には、この月明かりが有るか無いか。物理的には同じように月の明かりが降り注いでいるでしょうが、太湖に船を浮かべて見る月の明かりとは全く違うでしょうね。

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