北京地下鉄のたび ー積水潭駅ー

皆さんこんにちは、「songyun.org中国語教室」というコーナーを始めました。このコーナーでは中国に関する知識や中国語の勉強方法などをご紹介いたしますので、このウェーブサイトを有効にご利用していただき、この中国語教室が皆様のお役にたちますように心より願っています。

私も日々日本語と英語を勉強していきたいと思っておりますので、今後とも、よろしくお願いいたします。

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地下鉄2号線は1969年に着工し、1984年に全線開通しました。北京には内側と外側の2つの城壁がありましたが、この路線は、元の北京の内城をぐるりと一巡りする路線で、通称『環線』と呼ばれています。そしてこの路線は、北京の古い城壁跡を走るものでもあります。1920年代、スウェーデン人のオスヴァルド・サイレンは、「北京の城壁は、人の魂を揺さぶる遺跡だ。広く、安定感があり雄大だ。上から敵を見下ろし、四方をにらむ構えで、このような高大な城壁は唯一無二の都市設計である。」と書き残しています。1953年から外城の城壁が取り壊しが始まりました。内城の城壁は、1960年代末まで残されていましたが、地下鉄2号線の建設に伴い取り壊され、600年の長い歴史をもった城門と壁は永久に失われました。しかし、2号線の駅名は、「安定門」や「崇文門」と「門」のつくものが多く、かつて城門と城壁があったことを教えてくれます。

 積水潭駅(积水潭站)

 元代の詩人であり、画家でもある王冕(おうべん)の詩に「燕山三月風和柔、海子酒船如画楼」という一節があります。この中の「海子」というのが、今日の積水潭です。元の時代、食料を北方へ輸送するため、通惠河という運河が建設されました。その流れは、北京市内に大きな湖を作り出しました。これが積水潭です。北京市内には6つの海(人工湖)がありました。そのうちの北海、中海、南海、これら3つを合わせて、太液池といい、前海、後海、西海は、刹那海と呼ばれていました。刹那海とその西北にあった太平湖をあわせて、積水潭と呼んでいました。積水潭は運河の埠頭でもありました。その昔、積水潭の水面は、広々と広がり、東西は1キロ、南北は十数キロもあり、それはまるで海のようでした。今は、西海がその名残をとどめています。

 観光スポット

 箭楼と北京古代貨幣博物館(箭楼&北京古代钱币博物馆)

 箭楼とは城壁の上に設けられたやぐらです。徳勝門の箭楼は、明の正統初めに建造され、かつては北京の内城の九つの門の一つでした。元々は城楼(城門の上に築かれたやぐら)と瓮楼(城門の外を取り囲む半円形の小城郭)などの建築もありましたが、今は箭楼だけが残っています。

 北京古代貨幣博物館は、徳勝門の下、明清時代の真武廟内につくられたもので、中国の歴代の貨幣を展示しています。古代の貝のお金から、布のお金、銅のお金など様々です。このほか館内には、古代貨幣の市場もあり、貨幣を購入したり、交換したり、また、貨幣の価値や真偽など専門家の鑑定を受けることもできます。

 アクセス:地下鉄A出口出て、徳勝門西大街に沿って、東へ直進。徒歩5分ほど。

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