北京地下鉄のたび ー菜市口駅ー
皆さんこんにちは、「songyun.org中国語教室」というコーナーを始めました。このコーナーでは中国に関する知識や中国語の勉強方法などをご紹介いたしますので、このウェーブサイトを有効にご利用していただき、この中国語教室が皆様のお役にたちますように心より願っています。
私も日々日本語と英語を勉強していきたいと思っておりますので、今後とも、よろしくお願いいたします。
清代末、このあたりは賑やかな繁華街でもありましたが、同時に北京の刑場でもありました。繁華街の中に刑場があるのは、中国では古くから見られるもので、刑の執行を民衆に示す効果は大きいものでした。この刑場は、今日の鉄門胡同のやや南西よりの通りにありました。
清朝が鉄道を再建する前に、ほかの省からやってきた人たちが北京に入るためのルートは2つあり、1つは京杭大運河に沿った通州を通る道、1つは盧溝橋を通り、広安門から入る道です。広安門をくぐると、そこが菜市口で、この一帯には各省や各県が建てた集会所や商家が立ち並び、明清時代の重要な商業拠点でした。
菜市口の駅から半径2キロ内には、文化的価値のある古い建物が数多くあります。徐旧居、南海会館、紹興会館、京報館など。菜市口の刑場の真向かいにある薬局の鶴年堂は長い歴史をもった老舗で、「先に鶴年堂ができ、それから菜市口ができた」という言葉もあります。1899年夏、金石学と古文字学の研究者が鶴年堂で薬を調合してもらったことがきっかけで、甲骨文字が発見されました。
観光スポット
中山会館(中山会馆)
この建物は"珠朝街"という場所にあります。"珠朝街"は、「街」という名前がついてはいるものの、実はほんの数距離の短い路地です。しかし、この路地には、雲南、揚州、中山、成都などの会館が数多く建てられ、銭大キン(日へんに斤)や、蒋士銓、紀暁嵐などの文人たちが住んでいました。この中で、最も有名だったのが中山会館です。もともとは香山会館と呼ばれていましたが、孫文が亡くなった後、中山会館へと改名されました。