“四面楚歌”
Submitted by whenis on 火, 09/01/2009 - 09:16大きな困難にぶつかり、周りの不利な状況のすべてはその者の失敗を予言しているかのようなときのことを、中国語では“四面楚歌”という成語で比喩している。
紀元前202年、中国最初の封建王朝である秦王朝が誕生した。現在の世界文化遺産である中国陜西省の始皇帝の兵馬俑はこの王朝が残した遺跡である。そしてもう一ヶ所の世界文化遺産――万里の長城も、秦王朝に始めて建設されたもだ。
秦王朝の支配者はひたすら大きな仕事を好み、特に始皇帝は自分のために豪華な王宮や陵墓を造り、膨大な資金を費やしたので、民百姓たちは酷い搾取を受け、民間では蜂起は相次いで起こっていた。その結果、15年後に、秦王朝は滅ぼされ、そのときには項羽と劉邦がそれぞれ率いる二つの勢力が残っていた。
もとは楚の地出身であり将軍の項羽は、気丈で傲慢な性格の持ち主であり、また戦いに長けていた。一方、劉邦は秦王朝が滅ぶ前には階級の低い官吏であり、狡猾な性格だったが、人使いはうまかった。秦王朝と戦いで、この二人は義兄弟となり、互い助け合っていたが、秦王朝が滅ぶと、二人は反目してしまった。