「轅は南で轍は北」・中国の物語
Submitted by whenis on 星期二, 08/11/2009 - 08:59紀元前五世紀から三世紀にかけては、中国では戦国時代である。当時の中国には多くの諸侯国があり、戦争が続いているので、各国には国王に知恵を出す大勢の策士がいた。その策士たちは国王に策を献じるときは、実例を挙げた意味深い喩えを用いて、己の主張を聞き入れさせることが多い。「轅は南で轍は北」の成語も、魏の大臣である季梁が魏王に策を献じたときのことを描いている。
戦国時代では、実力のある諸侯国たちはそれぞれ天下統一を目指す。その中で魏の国王も天下をとるべく、先に趙の首都である邯鄲を攻め落とし、趙を従属下に置こうと考えた。ちょうどこのとき魏の大臣である季梁は国外にいたが、これを知ると、いても立ってもいられなくなり急いで帰国し、着替える閑もなく、魏の王に会いに行った。