中国茶の歴史

皆さんこんにちは、「songyun.org中国語教室」というコーナーを始めました。このコーナーでは中国に関する知識や中国語の勉強方法などをご紹介いたしますので、このウェーブサイトを有効にご利用していただき、この中国語教室が皆様のお役にたちますように心より願っています。

私も日々日本語と英語を勉強していきたいと思っておりますので、今後とも、よろしくお願いいたします。

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中国茶の歴史

中国の民族宗教―道教

道教は中国の伝統文化の一部分である。それは儒教・仏教と補い合って中国の人々に信仰を強く与えている。かって学者たちは、中国が宗教の薄弱な国家であると考えていたが、これは誤解である。統治者が西洋の各国の教会よりさらに強大な宗教の力に頼らなければ、人口が多く国土の広大なこの大国で数千年に及ぶほど長い間中華文明が維持されたはずがない。
中国における所謂民族宗教といえるものとして紀元前二世紀頃発生した道教がある。また、紀元前一世紀にインドより渡来した仏教は中国の社会・宗教思想に深刻な影響を与え、ゾロアスター教、マニ教、景教、イスラーム教、キリスト教なども影響を与えた。
中国では、神々の意志は、一方的に自然や人間界の中に現れるのではなく、人間の行為のあり方が天地の状態が反映すると信じられていた。道徳的な行為を通して、人間は宇宙の創造に参加し、その運動に対し必須の責任を負うとされていたのである。中国のパンテオンの原像は祖先神と自然神の二つを柱とし、両者が至上神たる上帝により統合されるような構成を持っていた。

中国宗教はなぜ、キリスト教のような神はいませんか?

中国にはキリスト教のような神はいません。その神のかわりに、聖人というものを崇拝します。聖人とは何でしょうか?古代の聖人とは、人間であり、しかもおもに「治水」に成功した人たちなのです。人間の力をもってすれば、どんなことでもできる。この人間の力によせる信仰が、中国で人間至上主義を生みました。
しかし、エジプト、メソポタミア、インダスには多神教がありますように中国にも多くの神はいます。それが一つの体系を取れていないから、いないと感じるのです。 伏犠・女禍は中国の創造神ですが、これは南方の苗族の神だといわれます。中国の創造神が黄河流域の中原ではなく、苗族に伝わる神というのは中国の起源が長江であるとされる大きな理由のひとつとなっていますが、中国のスケールの大きさによるためだと思います。

家庭と系譜と民族

古代の伝統的家庭、中国の伝統的風習では、大家族が最も重く見られ、上に両親、祖父祖母、下に息子や孫がいるという四世代、または五世代が一緒に住むということは、人々の理想とされており、分家することはその一族の恥とされてきたのです。このような伝統的な大家族の管理体制は家父長制のもので、家庭での等級は厳しく、一家の長は家族の事柄を処理する上では絶対的権威があり、目下のものには、一般に言って発言権と決定権があるのです。

子供を養い、老後に備えるー「养儿防老」(yǎng ér fáng lǎo)は中国の家庭では昔からの老後対策です。つまり、親には子供を生んで成人になるまで育てる義務があり、子供には晩年の親を大切にし、真心を持って尽くすという義務があるとされていたのです。

現代の中国家庭、20世紀に入り、特に1949年以降、中国人の家庭には大きな変化が現れました。いまの中国の家庭は益々多様化し、主には小型化していき、直系化しているのです。いま、都市であろうと農村であろうと、若い人たちは家庭の小型化を最初に選びます。都市では大多数の家庭は夫婦と一人の子供か二人の子供だけからなりますが、農村では三世代、または四世代が一緒に暮らす家庭がなおも多いという状態にあります。

胡同と四合院

「胡同(hú tòng,フートン)」とは、北京特有の古い路地です。北京ではほとんどの胡同が紫禁城を中心にしており、その大部分が元、明と清の三つの時代に出来ました。胡同は、はじめは住む人の社会的地位の高さを基に配置され、紫禁城に近ければ近いほど、その住む人の地位は高かったのです。特に、紫禁城の近くの東西にそれぞれある胡同には貴族や高官が住み、紫禁城の南北にある胡同に住むのは一般庶民だったのです。

胡同にはそれぞれ名前があり、それに名目が多く、役所など当時の政府筋の機構、宮殿や寺院、倉庫や作業場、橋、河川、市場、商品や器物、人物の名前、景色や民情などから胡同の名称をつけ、その多くが今でも使われています。

胡同の住民は最初は一族が集まり住んでいたもので、数世代の人々による大家族をなしていましたが、のちに異なる家族が混ざって住むようになることが増えました。北京の胡同の伝統的な住まいは、真中に庭を囲み四方にそれぞれ平屋の建物があるもので、このような配置のものを四合院(sì hé yuàn)といいました。これら四合院はきちんと建ち並び、東西南北と方向がはっきりしていて、それぞれ並んだ四合院を両側に分けて続く横丁が胡同なのです。このような伝統的な秩序ある配置は、中国の北方では代表的な住まいの一つになったのです。

若者婚姻の著しい変化

このほど発表された「現代中国青年人口発展状況研究報告」によると、1995年時点で中国の青年(女性含む)の未婚率は15~29歳で51.54%、15~35歳で38.23%だった。これが2000年には、15~29歳で59.17%、15~35歳で40.8%、05年には15~29歳で65.89%、15~35歳で45.71%に高まった。 青年人口における未婚率が高まっている原因は、中国が経済の急成長期にあり、生活リズムが速まり、仕事のプレッシャーが強まっているため、一部の青年が結婚を遅らせていることにある。また、社会観念の変化が著しく、一部の青年は自由を好み、できるだけ自由な独身生活を楽しみたいと考え、意図的に結婚を遅らせていることも関係がある。このほか、男性の数が女性を上回り結婚できない男性が増えたため、男性の青年人口で未婚比率が高まったことも一因となっている。

 報告によると、男性の未婚率は15~29歳で72.72%、15~35歳で51.63%だった。これは15~29歳で59.12%、15-35歳で39.88%という女性の数値より高く、男性の平均初婚年齢も女性より遅いと考えられる。

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