中国茶の歴史

皆さんこんにちは、「songyun.org中国語教室」というコーナーを始めました。このコーナーでは中国に関する知識や中国語の勉強方法などをご紹介いたしますので、このウェーブサイトを有効にご利用していただき、この中国語教室が皆様のお役にたちますように心より願っています。

私も日々日本語と英語を勉強していきたいと思っておりますので、今後とも、よろしくお願いいたします。

スポンサー

中国茶の歴史

漢鐘離が呂洞賓を済度

呂洞賓は山西省出身の知識人です。しかし、今の大学入試に当たる官吏登用試験を合格した時、すでに64歳でした。出世の道、あまり順調ではありませんでした。

 恐らくそのときの呂洞賓にとっては、もう出世ということをほぼあきらめたのではないかと思います。ある日のことです。呂洞賓は都である長安(現在の西安)の町に来て、ある居酒屋で仙人の漢鐘離と会いました。

 漢鐘離は仙人となるいい原石である呂洞賓に声をかけましたが、すぐに弟子として認めたわけではありませんでした。呂洞賓のほうは、漢鐘離に啓発され、すぐに決心して、道にたどり着こうとしました。しかし、漢鐘離は、「あなたはまだ志を完全に決めていない。この俗世間から離脱するために、更に何度も生まれ変わらなければならない」と言って、その場を去って行きました。

 漢鐘離は消えましたが、呂洞賓はあきらめませんでした。すぐに仕事をやめて隠居し、道を学びました。

 大きな決心を示した呂洞賓を、仙人である漢鐘離はきっとどこかでしっかり観察していたんです。その決心と悟り具合を試すために、漢鐘離は10の場面を仕掛けました。

 最終的には、呂はテストとなる10場面を全部クリアし、漢鐘離の弟子となり、更に、仙人になりました。

漢鐘離の物語

漢鐘離は本名ではありません。本名は鐘離権と言います。後漢時代に生まれたので、時代の名前、漢を苗字の前につけられました。

 父親は後漢の総大将です。兄も将軍です。

 鐘離権の誕生についても、神話伝説もありますよ。その母親が出産するところに、巨人が大またで入ってきて、「わしは大昔の神様だ、ここに生まれるはずなので来ている」といいました。すると、まぶしい光が火のようにきらめく中に、鐘離権が生まれてきました。

 そもそも神様の生まれ変わりですから、小さい頃から目立つ存在でした。生まれた時に、すで3歳の子供と同じような大きさでした。大人になると、美男子になりました。

 家庭環境もいいし、鐘離権の人生は順風満帆に見えますが、あまりにも目立つ存在でしたから、嫉妬する人もいます。当時、現在のチベットに当たる吐蕃で、叛乱が起こりました。鐘離権は将軍として出征しました。しかし、大きな権力を持つ大臣、梁冀という人が、大きな手柄を取られるとまずいと、鐘離権を嫉妬して、年老いた人や身体の弱い人からなる軍隊2万人を繰り出しました。

 そのような2万人の軍隊を率いて、勝つわけないじゃないですか!まもなく敵軍に破れ、鐘離権はたった一人で谷に逃げ、やがて山奥のある村に来ました。

曹国舅だけ、唐の後の宋の時代の人物です

これまで取り上げた八仙の人物は、生まれが漢の時代だったり、唐の時代だったりでしたが、曹国舅だけ、唐の後の宋の時代の人物です。

 国舅とは、皇后の兄や弟であることを示す尊称です。八仙の中においては、正真正銘の貴族です。本名は曹玘(そうき)。字は景休(けいきゅう)と言います。どうりで曹国舅は八仙図鑑の中で、一番豪華な衣装、官僚の姿をしています。

 曹国舅は八仙の中で、一番地位の高い人物でもあります。地位が高いですが、彼は豊かな生活に溺れ、貴族の特権を利用することが好きではありません。身分が高いのに、平常心でいられるのはちょっと珍しいですね。

 もちろん、曹国舅一族はみんながみんな、そんなに潔白な人間であるはずがありません。その弟は、皇后の親族であることをカサにきて、農民の土地を奪ったりして、悪行を繰り返していました。

 曹国舅はしょっちゅう弟を忠告しましたが、向こうはまったくその話を聞いておらず、ひいては自分の兄を敵視するようになりました。

李鉄拐の物語

この八仙人を仙人チームだとすれば、一番最初に仙人になった李鉄拐は、いわゆるリーダーみたいな存在です。 苗字は李。下の名前は玄といいます。鉄拐というのは、鉄の杖という意味で、片方の足が不自由で、鉄の杖を使いますので、その特徴を捉えて、李鉄拐と呼ばれるわけです。

 李玄はもともとがっちりとした体格の立派な男性でした。そして、「八仙東遊記」によりますと、頭もよく、20歳ごろには、すでに俗世間の事柄に興味がなく、仙人になる道に没頭していました。

 李玄は独自の考えを持っています。「天地は空しい。人生は幻想に過ぎない。財産や名声は心を惑わす毒である。たとえ皇帝となり、世界の富をすべて有したとしても、それは所詮身体以外のものであり、雲のようなものに過ぎない。無から有が始まり、有はまた必ず無になる。人生はまるで夢のようなものだということを悟らずに、ただ自分のこの身体を世に放浪させていいのか!」と、主張しています。

 よく考えるとその通りですね。確かに人間にとって、財産や名声はいくらあっても、死ぬ時には手ぶらで死ぬわけですもんね。だから、自分がこの世に存在した証を残すように、みんな一生懸命頑張っています。でも、李玄の夢は、この世で頑張るのではなく、仙人になるというある意味大きな夢です。

中国では、日本の七福神と似た八仙人の伝説があり

中国では、日本の七福神と似た八仙人の伝説があり、各地で広く伝わっています。日本の七福神は、福をもたらすとして、古くから信仰されている七人の神様です。一般的には、恵比寿、大黒天、毘沙門天、弁財天、福禄寿、寿老人と福袋の七人です。その出身と言いますと、福禄寿、寿老人と福袋三人が中国出身だそうです。また、七福神の代表的な図柄としては、「宝船」がありますが、これは、中国の「八仙渡海図」が元になったという説が有力です。

 中国の八仙、八人の仙人とは、李鉄拐(りてっかい)、漢鐘離(かんしょうり)、呂洞賓、(ろどうひん)、藍采和(らんさいわ)、韓湘子(かんしょうし)、何仙姑(かせんこ)、張果老(ちょうかろう)と曹国舅(そうこっきゅう)の8人です。いずれも民間人から仙人になったもので、それぞれ、様々な伝説があります。中国では八仙人といえば、知らない人はいないほど非常に有名です。

 この8人の仙人はその出身や特徴により、それぞれ老、若、男、女、富み、権力、貧乏、低い身分を代表します。つまり、社会の各階層、あらゆる生活状態の人々を包括しています。八仙人の物語は、唐の時代から伝わりました。でも、構成人物が変わったりしています。明の時代になると、呉元泰という人が、『八仙東遊記』という小説を書きました。その小説によって、ようやく8人の名前が確定しました。

ページ

スポンサー