中国の民族宗教―道教
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道教は中国の伝統文化の一部分である。それは儒教・仏教と補い合って中国の人々に信仰を強く与えている。かって学者たちは、中国が宗教の薄弱な国家であると考えていたが、これは誤解である。統治者が西洋の各国の教会よりさらに強大な宗教の力に頼らなければ、人口が多く国土の広大なこの大国で数千年に及ぶほど長い間中華文明が維持されたはずがない。
中国における所謂民族宗教といえるものとして紀元前二世紀頃発生した道教がある。また、紀元前一世紀にインドより渡来した仏教は中国の社会・宗教思想に深刻な影響を与え、ゾロアスター教、マニ教、景教、イスラーム教、キリスト教なども影響を与えた。
中国では、神々の意志は、一方的に自然や人間界の中に現れるのではなく、人間の行為のあり方が天地の状態が反映すると信じられていた。道徳的な行為を通して、人間は宇宙の創造に参加し、その運動に対し必須の責任を負うとされていたのである。中国のパンテオンの原像は祖先神と自然神の二つを柱とし、両者が至上神たる上帝により統合されるような構成を持っていた。
人は自らのうちに内在する「天」の聖性を自覚し、日常生活の中で、学習と実践を通して常にそれを啓発することにより、文化的に完全な「人」にならなければならないというのが、儒家が人生に与えた宗教的意味であった。中国においては、人間存在を意味づける究極的な存在が、外在的「神」ではなく、自己の内に内在しており、自己の主体的努力を通して人が聖性に参加する可能性が認められていたのである。
道教は、南北朝の時代に成熟し、唐代には国教となり、宗教としての質をどんどん向上させた。道教の特色は神霊観にも現れている。キリスト教・イスラム教などの一神教と違い道教の神霊に排他性はない。道教は、道教の神々だけが協調し合っているのではなく、異教の神々さえも取り入れている。宮観の中に、太上老君と孔子・如来仏・回教のマホメット・キリスト教のイエスがいっしょに祭られてきたことからも明らかである。道教には元始天尊・太上老君・玉皇大帝・三清四御などの主神のほか、風伯・雨師・城隍・土地・人体の各部の身神および大小の実務を管理する職能神などもある。この膨大な神霊の系譜は中国の国情と密接に関係している。分散した零細農業の経済は多くの神霊の観念を生み出し、入り込む隙間のない膨大な官僚機構は神仙世界の職務も雑多にし、巨大な専制帝国を統一してきた政治伝統は必然的に至上神を出現させた。
宗教人類学・宗教歴史学・宗教心理学・宗教社会学の観点から分析すると、道教は宗教の基本要素を全て備えている。キリスト教・イスラム教・仏教の三大世界宗教と比べると、道教は一般の宗教としての特徴だけでなく独特の民族文化の特色も備えている。道教の一般的な宗教としての特徴を次に示す。
1、宗教の神学は、人々に現実世界に存在しない神やその偶像を信仰・崇拝することを要求する。この崇拝や信仰の対象は、現実社会で支配されている人々が天国にある自分とは異なる力を望んでいる。
2、宗教の神学は、現実の世俗生活を超えた彼岸の世界を作り出そうとする。この理想の世界では、超人的な力を持つ自分とは別な人間がいて、自然や人間を超越した神聖さを備えている。道教では、逍遥自在・長生不死の神仙の世界が明らかに神聖な彼岸の世界である。この世界の中では、神仙は何でもできる強力な神通力を備え、人間を超越した神秘的な力を持っている。
3、宗教の神学には、国家の社会政治と人々の現実生活の関係が間接的に反映される。道教の神仙は、生老病死などの自然の力に打ち勝つだけでなく、逍遥自在の神仙の生活を空想させることによって人々の現実生活の欲望を満たしている。
4、宗教の神学には、それぞれに特有の宗教観念と思想体系があり、それがもとになって教義や経典が形成されている。道教は、中国の伝統文化の土壌の中で、三大世界宗教とは異なる独特の神霊観・神性観・霊魂観・生死観を育み、宗教観念と宗教思想の体系を形成した。この基礎の上に道教の教義が形成され、多くの経典が蓄積された。道教には、豊富な宗教理論がある。
5、世界の宗教には、教徒の宗教感情と宗教体験を育成するために宗教経験を獲得する修行方法がある。道教でも同じように、神仙に対する依頼感や畏怖感、神聖な力に対する驚異感、神仙に保護されているという安心感、教えに背き神を軽んじる罪悪感、神と交わり一つになった神秘体験などを道士に持たせようとする。また、道士に宗教体験を獲得させるための修養方法もある。道教の修練方術では天人合一・返樸帰真・人と道の一体化を追及する。後世の全真道士は、内丹仙学を道と合して仙人に成るための路としている。内丹仙学はある意味では世界の宗教の中で最も系統だって完備した修養方法あるいは行動様式である。
6、すべての宗教は、法術・禁忌、神に対する祭祀や祈祷、それに由来する宗教礼儀を含んでいる。これらは、教徒が実際に行う宗教行為や宗教活動の基本内容である。道教の道士も盛んに宗教行為を行い宗教活動に参加する。道教は法術に長じた宗教である。それは中国の古くからの方技術数を余すことなく含んでいるばかりか、宗教礼儀や斎の様式も作り上げた。
7、宗教は、団体で活動し社会化していく現象であり、宗教組織と宗教制度は不可欠の要素である。すべての宗教には宗教を職業とする人々がいて、それ相応の宗教の機構と階層を形成している。教徒は教えの規律に従って自己の行為を制限し、宗教の規範に従う。道教も徐々に宗教組織や制度を形成し、道士は厳格な規律と戒律を制定した。南北朝以後の道士はすでに宮観で修行していた。金・元の時代の全真道にはさらに完全な叢林制度があった。道士たちは、特別な服を身につけ規律と戒律に従う宗教職業者となった。
以上のことから、中国の道教が宗教の普遍的な特徴と基本要素を備えていることがわかる。道教は自然発生した自然宗教と人為的な倫理宗教の結合体である。それには絶対唯一の神の信仰はない(ユダヤ教・キリスト教・イスラム教のような一神教とは異なる)が、至上神の信仰はある。道教は人格化した主神(元始天尊・太上老君など)に対する信仰だけだけでなく、自然界の本質である汎神論の「道」の信仰(ヒンズー教の「ブラーフマン」、大乗仏教の「仏性」と類似している)もある。道教は中国だけでなく、朝鮮・日本・東南アジアにも伝わっている。このことは道教が世界宗教としてのなにがしかの品格を備えていることを物語っている。
道教の主神の中では元始天尊・太上老君・玉皇大帝の影響力が最も大きい。その中の元始天尊は道教が公認する至上神である。中国は古くからの農業大国であり、人々は天を最も崇拝していた。これは明らかに先民の自然崇拝の延長である。元始天尊の出現は、氏族の原始宗教で神格化した天を信仰していたのを継承したものである。道教の中で、元始天尊は最高の天の神であるが、また同時に道の化身でもある。早期道教では老子を教主として奉じ、《道徳経》を経典としていた。太上老君は教えを創始した教主として現れた神である。彼は道を人格化したものでもある。早く南北朝の時代には、太上老君は元始天尊の下に置かれ、元始天尊の至上神としての地位は突出していた。玉皇大帝は道教の中では比較的遅くに出現した。彼の地位は道教が政治的な倫理となっていく過程で次第に高まっていき、宋代になると皇帝を真似て道教の主神となった。玉皇大帝の出現は、「神道設教[鬼神迷信を利用して人民を愚弄すること]」の儒家の統治術が道教の中に反映されたもので、皇帝が統治秩序を擁護するために君主の権威を神格化した結果である。
三大世界宗教と比べて、道教には民族文化としての特色がある。道教の教えの主旨を見ると、それは肉身成仙・長生久世を追及し、現世利益を重視している。これは、三大世界宗教が霊魂の解脱を追及し、来世の利益を重視することとは大きく異なる。三大世界宗教は死後に天国という楽園で生活することを考え、冷淡な態度で社会の現実生活に対処する。道教は死を直接否定せず、月日はすぐに過ぎ人身は面倒なことが多いが、早急に仙を修めれば神仙の永久的な幸福と快楽を享受できると考えている。
宗教としての型から見ると、道教はキリスト教などの純社会倫理型の宗教とは異なる。道教は原始社会で自然発生した自然宗教で、道教の神仙は死や災厄を克服し、逍遥自在である。道士は、自然の力や社会の力を超越し、理想の現世利益を獲得するために修練するのである。