さすがの曹操も、好色でやられました

皆さんこんにちは、「songyun.org中国語教室」というコーナーを始めました。このコーナーでは中国に関する知識や中国語の勉強方法などをご紹介いたしますので、このウェーブサイトを有効にご利用していただき、この中国語教室が皆様のお役にたちますように心より願っています。

私も日々日本語と英語を勉強していきたいと思っておりますので、今後とも、よろしくお願いいたします。

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好色のせいで、曹操は長男の曹昂、及び最愛の部下である典韋を失いました。ちなみに、典韋は三国武将の中で、とても有名な人です。武術だけ論ずるなら、1位は呂布、2位は趙雲、そして、第3位は、この典韋です。

 では、ご紹介します。

 曹操が荊州の張繍を征伐し、降伏させた。ある日の夜、曹操は酔っ払って、「この城には妓女がいないか?」と、甥の曹安民に聞いた。曹操の好みを熟知している曹安民は「この官舎でとても美しい女性を見かけた」と答えた。聞くと、それは、投降したばかりの張繍の戦死したばかりの叔父、張済の妻である。曹操は連れてきてくれと命令した。すると、女性がやって来た、確かに美しい。

 曹操はすっかり惚れ込んでしまい、女性も従順で男に従った。やがて、張繍はこのことを知って、激怒した。「ひどい!人のおばを弄ぶなんて、この俺を馬鹿にしているんじゃないか」と、曹操を不意に攻撃しようとした。

 しかし、曹操の護衛役に、武芸の優れた典韋がいる。張繍たちは典韋を恐れ、ある計略をたてた。酒宴を開いて、典韋を呼び、彼が酔っ払ったところで、典韋の使い慣れた武器を盗もとした。

 当日の夜、曹操は張繍の叔母だった女性と、酒を飲んでいる。外に馬の鳴き声などが聞こえ、少し騒がしいことが気になって、聞いてみると、「張繍が夜間の定例パトロールをしている」と答えが返ってきた。夜中になって、陣営のあちこちでは、兵士の叫ぶ声が聞こえ、火が燃え始めた。ようやく異変に気付いた曹操は慌てて、典韋の名を呼んだ。泥酔していた典韋はすっかり寝込んでいた。慌てておきると、自分の武器が見つからない。隣の兵士から刀を取り、20人あまり斬った。それでも、張繍が率いる兵士はどんどん攻めてきた。典韋は人を切りすぎてボロボロになった刀を捨てて、両手にそれぞれ一人の兵士を持ち、敵軍を迎撃し、更に9人ぐらい殺した。

 その時、典韋も全身傷だらけになり、血まみれで尚も悪戦苦闘を続けた。敵軍はおびえて、近づこうとする人がいない。遠いところで矢を射た。典韋は死ぬまで軍営の正門を譲らなかった。

 典韋が死ぬまで、張繍の侵攻を拒んだため、曹操は結局裏の門から逃げ出しました。途中には曹操は腕に負傷し、乗った馬も矢が三発命中しました。河を渡って、曹操の馬は更に目に矢が命中し、倒れました。曹操の長男、曹昂は自分の駿馬を父親に譲ったため、敵軍に乱射され、死んでしまいました。

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