蔡元培 中国近代の民主革命家、教育家、科学者
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蔡元培は20世紀初期の中国資本主義教育制度の創設者です。彼は国民教育や実利主義教育を急務とし、道徳教育を中心とする資産階級の新しい教育体制を初歩的に作りました。北京大学の学長を担任した期間、学術の自由や「科学と民主」を主張しました。
1868年、浙江省紹興に生まれました。17歳の時、科挙試験に通り、その後、挙人、進士となり、翰林院に入って編集の仕事を担当しました。1898年、官職を辞し、教育に従事することになりました。最初は紹興中西学堂の監督を担当し、以降は南洋公学総教習となりました。1902年に、中国教育会、1904年に光復会を組織し、1905年に同盟会に参加しました。1907年に、ドイツのライプツィヒ大学に留学、哲学、心理学、美術歴史などを専攻。1912年に帰国し、南京暫定政府の教育総長に就任。しかし、袁世凱の独裁に不満を唱え、再びドイツやフランスに遊学。その後、1916年に帰国して、翌年、北京大学の学長となりました。1924年と1926年、中国国民党の第1次と第2次の全国代表大会で、中央監察委員会の委員に選ばれ、1927年に、国民党中央政治会議委員、中央特別委員会常務委員、国民政府常務委員、監察院院長などを歴任。1928年各行政職務を辞め、国立中央研究院院長を務めました。1932年、宋慶齢らと共に、上海で「中国民権保障同盟」を組織し、晩年は、抗日戦争に携わると同時に、国民党と中国共産党の合作のために、力を尽くしてきました。1940年に、香港で亡くなりました。享年72歳でした。
蔡元培(1868ー1940)中国近代の民主革命家、教育家、科学者です。