ビジネス中国語エッセイ 句読点と“标点符号”
皆さんこんにちは、「songyun.org中国語教室」というコーナーを始めました。このコーナーでは中国に関する知識や中国語の勉強方法などをご紹介いたしますので、このウェーブサイトを有効にご利用していただき、この中国語教室が皆様のお役にたちますように心より願っています。
私も日々日本語と英語を勉強していきたいと思っておりますので、今後とも、よろしくお願いいたします。
日本語で句読点というと、言葉通り句点と読点なのだから「。」「、」で万事終わってしまう。ただ、最近は外国語の影響を受けてか、「?」や「!」等も一部文書の中では見かけるが、普及していないし、学校でも教えない。国語の授業でも特に句読点に対して先生が重点的に教えることは、自分の経験からもなかったように思う。これは日本語文書の区切り記号としては、丸と点があれば十分で、文のつながりや区切りは、助詞「て・に・を・は」があり、語尾変化もあるので、意味を取り違えることもない。もともと伝来した中国語古文(=漢文)には記号を記入する習慣はなかったし、記号の数をそんなに増やすのは目障りだと考えたからだろうか、日本語表記上この句読点を増やす必要性はなかったと言えるだろう。
一方、中国語であるが、漢字には語尾変化はあり得ないことから、語順が大層重視される。語順をまちがえて意味が通じない場合はまだよいが、全く反対の意味になる事もある。そこで、古文は別として(史記などでは、句読点がないため、後世の歴史学者の間でも、史実についての解釈の違いがあり、研究者間の論争があるときく)現代中国語文では、句読点は完璧と思われるほど整備されている。
また、この中国語句読点(=标点符号)を十分理解しないと、中国語文書を読みこなすことはなかなか難しい。下の文は、よく引き合いに出される笑い話である。
雇用主が十分報酬を払えないかも知れないと心配したのに対し、被雇用者が次の様に言って安心させた。《无米面也可,无鸡鸭也可,无钱财也可。》(=米・麺なしでも結構、鶏・家鴨なしでも結構、金銭財物なしでも結構。)しかし、雇用が確定し被雇用者側の立場が安定してきたとたんに、この雇員は雇用主に対して以下の文句をつけたという。「私が承諾した雇用条件は、食事は米飯がなければ麺でもよし、鶏がなければ家鴨でもよし、金銭がなければ財(=現物)支給でもよいといったのであって、決して何もなしのボランティアなどする約束はしていない」というものである。これは句読点をどこにつけて読むかの違いでどえらい誤解を生むという、中国語読解上の教訓である。即ち、《没有米面,没有鸡鸭,没有钱财,都可以。》とは言っておらず、《如果没有米,面也可以。如果没有鸡,那么鸭也可以。不能给现钱的话,用实物支付就可以了。》と言ったのだという事である。
取引とは関係ないが、もう一つの笑話は、仲人さんが持ってきた縁談の釣書に、相手の女性を《脚不大好头发没有麻子。》とあったのを《脚不大,好头发,没有麻子。》と解釈し(=足は小さく、髪は美しく、肌は綺麗で……)→さしずめ柳腰で髪は烏の濡れ羽色……と考えて、飛びつくのか、《脚不大好,头发没有,麻子。》(=足の具合は悪く、髪の毛がなくて、………。)と考えるかである。冗談話を書いている内に紙幅が少なくなってきた。そこで中国の句読点(=标点符号)であるが、全部で15種類ある。そしてその使い方・その記号を使った場合の意味の取り方が決められている。一つ一つここで説明をするのは省くが、二三の例を挙げると、文書中の区切り記号の代表「。」は《句号》で一文の終結を示すものであるが、文中記号の《逗号》、これはコンマ「,」で一文中にあって、ごく一般の区切り。しかし似たものに《顿号》(中国語文中では「、」と表記し、並列の単語・短文を示す)がある。さらに上述《句号》「。」と似たものに《分号》があるが、これは並列した文の間の区切りを示すから、文書読解に際し、この記号の前後は文法的にも意味内容もだいたい同一の文法構造・意味構造の文であることが分かる。詳しくは、辞書で見て貰うのが一番だが、拙著「ビジネス中国語マニュアル」にもその用法と説明を加えている。参考にして頂ければ幸甚である。