whenis's blog

皆さんこんにちは、「songyun.org中国語教室」というコーナーを始めました。このコーナーでは中国に関する知識や中国語の勉強方法などをご紹介いたしますので、このウェーブサイトを有効にご利用していただき、この中国語教室が皆様のお役にたちますように心より願っています。

私も日々日本語と英語を勉強していきたいと思っておりますので、今後とも、よろしくお願いいたします。

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愚公、山を移す

「愚公、山を移す」は実話ではないが、中国では誰もが知っている説話だ。これは《列子》に記載されている。《列子》は紀元前四・五世紀に列御寇という哲学者が書いた本である。

この説話はつぎのようなもの。

 むかし、愚公という老人がいて、歳は九十近くになる。彼の家の前には二つの、太行山と王屋山という二つの山がはだかっていたので、人々は、山の向うへ行くのに大きな不便を感じていた。

 ある日、愚公は家族全員を集め、「あの二つの山はわが家の門をふさいでおるので、出かけるときはいつも遠回りをしなければならない。ならばみんなで力を合わせ、あの二つの山を他に移そうと思うのだが、みんなはどう思う?」と言い出した。

 それを聞いた愚公の息子と孫たちは「その通りです。明日からやりましょう!」と同意してくれた。ところが、愚公の妻はこの二つの大きな山を移すのは無理だと思い、「もう私たちは長年このように暮らしてきたというのに、このままで生きていってもいいじゃないのかい?それに、あんな大きな二つの山少しづつ移せるとしても、その土や石をどこへと運べばいいのかい?」と反対した。この愚公の妻の言葉はみんなの議論を招き、確かにそれが問題だった。そこでみんなの意見がまとまり、山の土と石を海へ運ぶということになった。

中国語の成語と虎の威を借りる狐

 ある日、虎は腹を空かせ、獲物を探し回った。運よく、かれは一匹の狐を捕えたので食べようとした。だが狐は「お前には私は食べられないさ。私は神に派遣されてきたんだ。神は私を百獣の王に封じたのだぞ。もしお前が私を食べれば、神の意思を逆らうことになるのだぞ。」という。

 狐の言葉を聞いた虎は半信半疑、空腹を我慢しながらも、どうすればいいのか分からずにいた。この戸惑っている虎を見た狐は「ウソだと思うのか?ならば私が前を行き、お前は後からついて来るがいい。動物たちが私を見れば、きっと逃げていくだろう!」と言い放った。

 では、やって見ようと思った虎は狐に言われたとおり、その後について行ったところ、果たして、動物たちは自分たちをみて恐れをなし、四方に逃げていったのである。しかし、虎は動物たちが怖がったのは、狐ではなく、自分だったということには気づかなかったのだ。

 この成語は、真と偽は表から裏へと、一歩一歩と深く追求して区別するべきである。でないと、「虎の威を借りる狐」のようにの人に欺かれてしまうと人々に忠告している。

井戸の中の蛙

 ある浅い井戸に一匹の蛙が住み着き、楽しい日々を送っていた。ある日、蛙は東海からやってきた一匹の海がめに「ここは毎日楽しいぞ!遊ぶときは柵の上を飛びまわり、休みたいのなら井戸の壁の欠けた瓦で休み、泥を踏んでも、足をとられるまで沈まないぞ。それに比べ、あの小さな虫けら、蟹とオタマジャクシなどは、まったく私には及ばないよ!それに、私はこの溝の水を独り占めにしており、飛びたいときは飛び、休みたいときは休むんだ。本当に素晴らしい!お前さんも井戸に降りてきて見物して行かないか?」と自慢した。

  そこで海がめは右足を井戸に踏み入れてようとしたが、まだ左足を入れていないというのにもう右足が挟まれてしまった。そこで海がめは井戸に降りるのはやめて、蛙に、「遥か千里といえば遠いと思うだろう?だが、それは海の広さを表せない。千仞といえば高いが、海の深さはそれでは表せない。夏の禹時代にすごい洪水で氾濫したが、海の水は少しも増えなかった。商湯時代に八年中七年は日照りに襲われたが、海の水は少しも減らなかった。永久なる海は、どんなに月日が流れても変わらず、どんなに雨が多くとも海面は高くならないんだぞ。これこそが東海に住む私の一番の楽しささ!」と海亀は言ったという。。

蛇を画いて足を添える

  古代、楚の国のある貴族が、先祖を祭ったあとの礼として手伝いにきてくれた食客たちに、一壷の酒を贈った。そこで食客たちで、「みんなで分けて飲んでは足りないので、一人が飲めば、まだ余るというもの。そこで、みんなで地面の蛇を描き、最初に描き終わったやつがこの酒を全部飲むということにしよう」と話が決まった。

やがて、一人が最初に蛇を描き終えた。そこで彼は酒を飲もうと酒壷を手にしたが、自分が一番早く描き終わったことを自慢したく、「見ろよ、私にはまた蛇に足を添える余裕があるぞ」と言って、蛇に足を画く加えた。

 と、彼が書く加え終わらないうちに、もう一人が蛇を描き終え、彼の手から酒壷を奪い取り、「もともと蛇には足がない、そうして余計なことをした!」と言って一気に酒を飲み干した。蛇に足を書き加えた食客は、自分が飲むべき酒をなくしたのである。

 この寓話は、何をしようにしても、具体的な要求と明確な目標を持ち、しっかりした意志でそれを求め、完成させるべきであり、勝利に酔うばかりでは、必ず失敗を招いてしまうと人々に教えている。

中国人のお茶を飲む習慣

中国ではお茶を飲む歴史は四千年余り前を遡ることができる。お茶は中国人の日常生活に欠かせないものである。中国では昔から薪、米、油、塩、醤油、酢、お茶は日常生活に欠かせないものとされている。お茶は人々の生活に重要な位置を占めている。また、中国人はお茶でお客さんを招待する習慣もある。お客さんが来ると、まずいい香りをするお茶を立て、飲みならが話をする。これは愉快なことだ。
話によると、紀元280年前、中国の南方には呉という小さな国がある。国王は大臣を宴会に招待する時、よくお酒を酔っ払うまで飲ませた。大臣の中に、酒に弱い韦昭という人がいたが、国王は酒の変わりに彼にお茶を飲ませたのだ。それで文人墨客の間にお茶で客を招待することがはやった。唐の時代になると、お茶を飲む習慣が定着するようになった。茶を飲む習慣は仏教ともかかわりがあるそうだ。紀元713から741年間の間、寺院では、和尚さんと信者達は座禅する時、よく眠くなったのだ。これを見て、1人の年長の和尚さんは彼らにお茶を飲ませた。すると皆が元気がでたのだ。この方法はまもなく、各地に広がった。これと同時に金持ちの家では、専門的にお茶を飲む茶室が設けられた。
紀元780年ごろ、唐の時代の陸羽はお茶の栽培や製造、飲用について中国初の本『茶経』を書いた。

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