郭沫若記念館
皆さんこんにちは、「songyun.org中国語教室」というコーナーを始めました。このコーナーでは中国に関する知識や中国語の勉強方法などをご紹介いたしますので、このウェーブサイトを有効にご利用していただき、この中国語教室が皆様のお役にたちますように心より願っています。
私も日々日本語と英語を勉強していきたいと思っておりますので、今後とも、よろしくお願いいたします。
北京の北海公園の北側は、四合院といわれる建物がひしめきあい、胡同の小道が入り組んでいるところです。四合院は庭を真ん中にして、東西南北に四つの部屋があり、日差しのいい東向きと南向きの部屋は、そこの主人とお客様用に使われた、中国北方の伝統ある建築様式です。
急速に近代化が進む北京は、あちこち高層マンションだらけ。市民の方は生活は便利になり、快適な居住環境に喜んでいますが、観光でやってくる外国人は、古い北京、「老北京」の風情を懐かしんでいます。そして、いまや「胡同めぐり」が大人気で、人力三輪車で回るツアーでにぎわっています。
郭沫若記念館は、まさにこの一角にあります。郭沫若氏は、四川省の生まれ。文学者、歴史学者、社会活動家として、近代中国史上、著名な文化人の一人です。1928年から10年間の日本留学経験もあります。本名は郭開貞ですが、「沫」と「若」は故郷の川の流れを懐かしんで、なんと日本時代につけたペンネームだったそうです。
郭沫若氏は、新中国成立後、三度住まいを変えたそうです。1963年から亡くなる78年まで、最後の住居になったのが、いまの記念館です。いま、館長を務めるのは、娘さんの郭平英さんです。平英さんによると、ここで過ごした15年間、郭沫若氏は、周辺の散歩をかかさず、四合院が並ぶ胡同がお気に入りだったそうです。科学や文化芸術関係者の来訪が絶えず、外国の友人もよくやってきました。ただ、書斎に入った時の表情は厳しく、「とても威厳があって、近寄れなかった」と平英さんは思い出を語ってくれました。その書斎や寝室は、そのまま残されています。
郭沫若記念館は、まさにこの一角にあります。郭沫若氏は、四川省の生まれ。文学者、歴史学者、社会活動家として、近代中国史上、著名な文化人の一人です。1928年から10年間の日本留学経験もあります。本名は郭開貞ですが、「沫」と「若」は故郷の川の流れを懐かしんで、なんと日本時代につけたペンネームだったそうです。
郭沫若氏は、新中国成立後、三度住まいを変えたそうです。1963年から亡くなる78年まで、最後の住居になったのが、いまの記念館です。いま、館長を務めるのは、娘さんの郭平英さんです。平英さんによると、ここで過ごした15年間、郭沫若氏は、周辺の散歩をかかさず、四合院が並ぶ胡同がお気に入りだったそうです。科学や文化芸術関係者の来訪が絶えず、外国の友人もよくやってきました。ただ、書斎に入った時の表情は厳しく、「とても威厳があって、近寄れなかった」と平英さんは思い出を語ってくれました。その書斎や寝室は、そのまま残されています。
実は、この北海、そして前海、後海と続く湖の周辺には、宋慶齢故居、梅蘭芳記念館など、著名人の住まいが目白押しです。いずれも博物館として一般開放されています。
胡同めぐりは、二人乗りの人力三輪車がお薦めです。ただ、乗るときに確かめたいことがあります。基本料金に、博物館の入場料が含まれているのもあれば、ないのもあります。また、四合院の民家に案内され、そこでまたお金を求められることもあります。ご注意を。