漢方医の歴史

皆さんこんにちは、「songyun.org中国語教室」というコーナーを始めました。このコーナーでは中国に関する知識や中国語の勉強方法などをご紹介いたしますので、このウェーブサイトを有効にご利用していただき、この中国語教室が皆様のお役にたちますように心より願っています。

私も日々日本語と英語を勉強していきたいと思っておりますので、今後とも、よろしくお願いいたします。

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   中国の伝統医学のうち、漢民族の医学は歴史が最も長く、その実践経験と理論認識も最も豊かである。

 漢方医が中国の黄河流域から起源し、早くから、学術システムが形成させた。漢方医は長い発展段階の中で、異なった発明があって、多くの著名な漢方医、数多くの重要な学派や名作が現れてきた。

   年前の殷墟時代の甲骨文の中に、医療衛生や数十種類の病気についての記載がある。周の時代に入って、見る、嗅ぐ、聞く、切る(脈を取る)などの問診方法と薬物、針灸、手術などの治療方法が使われていた。

 秦と漢の時代に、「皇帝内経」という漢方の体系理論に備えた医学著作も出ており、これは、今まで残っている最も古い漢方医の理論的な古典著作である。その後、張仲景氏が記した「腸チフス雑病論」は数多くの雑病の診断や治療原則を専門的に論及し、後世の臨床医学の発展に基礎を定めた。漢の時代になって、漢方医学の外科医がすでに高いレベルに達した。

   三国誌」によると、著名な医師華佗氏は、漢の時代から、全身麻酔の薬剤“麻沸散”を使って、外科の各種の手術をした。また、魏晋南北朝(紀元220年-589年)から隋唐五代(紀元581年―960年)まで、脈診で大きな成果を収めた。晋の時代の名医王叔和医師はその著書「脈経」で、静脈の現象を24種類にまとめた。この著作が中国医学に大きな影響を与えただけではなく、海外にもつたわって行ったのである。

 この時期、漢方医の各科が次第に科目専門化するようになった。針灸の著書には「針甲乙経」、丹薬作りの代表的な著書には、「抱朴子」と「肘後方」があり、また、製薬の面では、「雷公砲炙論」、外科では「劉涓子鬼遺方」と「諸病原候論」などがあり、小児科では、「頭囟経」、眼科では、「銀海精微」、さらに、世界初めての薬典「新修本草」、唐の時代の孫思邈氏の「千金要方」と王トウ氏の「外台秘用」などの医学の本もある。

   宋の時代(紀元年―年)の医学教育の中で、針灸の教育において、大きな改革が行われた。王惟一氏が「銅人腧穴針の図経」を記し、また、等身大の銅像を設計、製作し、学生の実習に提供した。これは、後世の針灸の発展に大きな影響を与えた。明の時代(紀元年―年)になると、一部の医学者は、腸チフスと熱病を疫病などから区別させようと提案した。清の時代に入って、熱病の学説が成熟し、「温熱論」などの著作も現れてきた。

   明の時代から、西洋の医学が中国に伝わり、一部分の医学者が“漢方医と西洋医学の融合”を主張したことで、現代の漢方医と西洋医学の融合における先駆者となったのである。

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