中国語講座

皆さんこんにちは、「songyun.org中国語教室」というコーナーを始めました。このコーナーでは中国に関する知識や中国語の勉強方法などをご紹介いたしますので、このウェーブサイトを有効にご利用していただき、この中国語教室が皆様のお役にたちますように心より願っています。

私も日々日本語と英語を勉強していきたいと思っておりますので、今後とも、よろしくお願いいたします。

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新入門編は初めて中国語を学ぶ方やもう一度基本からはじめたい方へ、応用編は中国文化をより深く理解し中国語を身につけたい方へ、役立つ内容をめざしています。

玉関にて長安の李主簿に寄す 玉关寄长安李主薄

作者、岑参は盛唐の詩人。湖北省の人。名門の出身ですが、若くして父を亡くしたため、苦学して進士の試験に合格します。現在の新疆ウイグル自治区のクチャや何度か辺境の地に赴きました。こういった体験に基づき辺境の詩を多く作りました。友人でもある高適、王之涣らとともに辺境詩人と称されています。

タイトルの玉門は、長安、現在の西安から約2000㎞離れた玉門関のこと。ここに作者は来ているようです。北海道の札幌から九州の福岡までは約1500㎞。それより遠く、昔のことですし大変な旅だったでしょう。私は、玉門関へ観光で行ったことがあります。飛行機や専用バスで快適な旅でしたが、それでも玉門関からその先に広がる砂漠の景色を見たら荒涼としていて、さみしい気持ちになりました。ここから、西安にいる李主簿に書いた手紙のような詩です。李主簿がどんな人物なのかは、わかりませんが主簿は下級の役人のことです。「故人」は親しい友人のことで、李主簿です。「一行の書」は短い手紙。「どうして短い手紙もくれないんだ」と恨みがましくも聞こえますが、むしろさみしい心のうちを吐露しているのでしょう。残りの句を見れば解ります。「歳除」は、大晦日のことで、中国では一家団欒の日です。その日に家族や親しい友人とはなれて、目の前には荒涼とした砂漠の景色が広がっている訳ですから、さみしい気持ちは募りますよね。

歳日

作者、元稹(げん しん)は中唐の詩人。牡丹の花が有名な洛陽の人。幼い頃に父を亡くし母親が女で1つで育てたと言われています。中国を代表する詩人白居易と同じ試験を受け、8歳ほど年下ですが、親友になったようで二人は、元白とも称されるほどでした。解りやすい恋愛の詩なども多く、民間の人に愛された詩人です。

タイトルの歳日は、元日のことです。もちろん旧暦の1月1日です。この日から今年が始まり、「前事は空し」の「前事」は、以前の出来事の意味ですから、去年のことです。確かに、歳が改まるとなんだか昨日までのことに興味がわかなくなり、実体がなくなるような感じですね。「凄涼たり 百年の事」の凄涼は、もの寂しい意味で、百年とは人間の一生のことを言っています。実際の寿命からするとちょっと長いのですが、そこは「白髪三千丈」の漢詩の世界ですから。最後の「応に」は、きっと~にちがいないと言う意味ですから、きっと1年と同じようなもの。と人生の百年と今年1年とを同じようにとらえているようです。あっという間に過ぎてしまうということですね。新年、お正月の詩ですがお目出度いウキウキした雰囲気よりも、ものさみしい雰囲気に溢れています。確かに、お年玉をもらえたり親戚にあったり無邪気にお正月を喜べるのは子どものうちだけなのかもしれません。

春日内に寄す

作者、作者、蘇轍は北宋の詩人。眉山(四川省)の人。兄は蘇軾。父の洵とともに並び称されています。19歳の時に兄の蘇軾一緒に進士に及第し、地方官を歴任しました。中央の役人としても活躍しましたが、55歳の時に左遷されました。この詩は、50歳の時に契丹に派遣された時に作った詩だと言われています。半年間ほどの旅だったようですが、遼の国王の誕生祝に派遣されたようで、ある意味屈辱的なお遣いだったようです。 詩のタイトル「春日内に寄す」の「内」は妻のことで、契丹の地から帰れる喜びを妻あてに書き綴って送ったものです。1句目の燕山は北京の東にある山の名前。帰骖の骖は馬車を引く馬の意味です。日を迎えてとは、あらかじめ日を数えること、カウントダウンですね。嫖姚は軽やかな身のこなしの様子。いつも仕事に使っていた馬車の馬たちも帰任が決まったご主人である蘇轍の気持ちを察して、うきうきしていると歌っていますが、これは、もちろん蘇轍自身の嬉しい気持ちを馬に代弁させています。華髪は白髪のことで、それだけこの地の仕事が大変だったということでしょう。東風は春風の意味です。弊貂の弊は形が崩れた様子。貂は毛皮が珍重されるテンです。春風が吹けば、重いコートを脱ぎたくなりますよね。この詩には後半があって、蘇轍の妻のことを思い、詠っています。今時風に言うなら、単身赴任が終わり妻の下に帰る喜びが溢れた詩ということになりますね。

三日李九の荘を尋ぬ 三日寻李九庄

作者、常建は盛唐の詩人。長安の人。進士に及第しますが、その後は思うように出世できず、琴や酒で気を紛らせたといいます。晩年は、現在の湖北省武漢あたりに隠居したようです。自然の景色を詩にすることに長けていました。

タイトルの「三日李九の荘を尋ぬ」は、3月3日に友人の李九の別荘を尋ねたという意味です。李九の李は苗字ですが九は名前ではなく李家の九番目の男子と言う意味です。1句目の「東渡頭」は東の渡し場の辺り、2句目の「永和三日」は永和九年=353年3月3日のことで、王羲之たちが会稽、今の紹興酒でお馴染みの紹興の蘭亭で曲水の宴を開いた日と言われています。この日にちなんで、自分も舟で友達の李九を尋ねようと言っています。杯が自分の目の前に流れてくるまでに詩を作り発表するという水に関連した遊びです。やはり、出掛けるには水にちなんだ軽舟なんですね。中国語の「故人」は、亡くなった人ではなく昔からの友達のことで、タイトルにある李九です。後半の3句、4句は春の美しく輪郭がほわっとした景色が生き生きと目に浮かびます。柳の緑、桃の花、水の流れ、日本の春と相通じる情景です。詩の奥深くにあるもの、技巧などはありませんが、ぬるんできた水や空気を感じる春をよく表していると思います。

方岳の「雪梅」を紹介します

作者、方岳は南宋の人。祁門、現在の安徽省の農民出身。33歳で進士に及第し、江西省の都市で地方長官も務めました。農村の風景を詠った詩の他、優れた作品を残しています。タイトルの「雪梅」と聞いて、冬を思いますか?それとも春を感じますか?日本の俳句では「雪」は冬の、「梅」は春の季語です。この詩を読んでいくと主役は雪ではなく、梅ですから春の詩だということで今回選んでみました。比較的解りやすいしだと思います。精神は、日本語の意味とは違ってここでは、魂がこもっている、生き生きしていると言う意味です。俗了は、俗っぽくなる、風流でないと言うような意味です。今まで、唐の時代の詩人を紹介したことが多かったのですが、今回の作品は、南宋の時代のもの。確かに、違います。少し理屈っぽいような気がしませんか。梅、雪、詩、春と言った情景が眼に浮かぶ「詩」らしい言葉がちりばめられているのは、唐の時代の作品と同じですが、精神、俗了というあまり詩的でない単語もあります。それでも、全体的にすっと情景の浮かぶ美しい詩に仕上がっているところは、さすが方岳です。実際に夕方雪が降ってきたかどうかは、解りませんが春の雪が梅の枝に舞い落ちて花のように見える。満開の梅がなお満開になっていくような感じでしょうか。

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