中国茶の歴史

皆さんこんにちは、「songyun.org中国語教室」というコーナーを始めました。このコーナーでは中国に関する知識や中国語の勉強方法などをご紹介いたしますので、このウェーブサイトを有効にご利用していただき、この中国語教室が皆様のお役にたちますように心より願っています。

私も日々日本語と英語を勉強していきたいと思っておりますので、今後とも、よろしくお願いいたします。

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中国茶の歴史

王安憶は南京に生まれ、現代女流作家

彼女は自分の文学創作について、次のように述べています。

「私は小さい頃から作家になり、創作活動をしたいと考えていたわけではありません。私達はずっと良く勉強し、進学して、医者かもしくは科学者になるように父母から言われてきました。自然科学に携わる仕事はとても崇高な職業であると思っていただけでした。この考えはこの30年間ずっと私に影響を与えてきたのです。そこで私は奮い立って勉強に励み、全ての科目に大変興味を持ち、また素晴らしい成績を修め、自分でも進学は問題ないと思っていました。学校では理想教育運動が展開され、私は自分の理想を口にすることを求められました。私は少しも躊躇することなく『農民になる』と言っていました。その時、大学のツバメとなり、農村は苦難と希望に満ち溢れており、珍しい色彩を帯び、私のロマンチックな心に呼応したのでした。多分私が農村へ行くなどとは、実際に考えたことがなかったからなのでしょう。私にとって農村とは一つの実現することのない夢のようなものだったので、このように少しも躊躇することなく口にすることができたのだと思います。

巴金は中国近代の小説家、散文家、文学翻訳家

1923ー1925年の3年間、上海南洋中学と南京東南大学附中に在学しました。1927年、初めてパリに渡り、多くの啓蒙思想家やフランス資産階級革命の歴史についての著作を広く読み、「夜未央」や、「理論学の期限と発展」(上巻)などを翻訳しました。翌年、書いた第一部長編小説、「滅亡」において、彼は小資産階級知識分子の自発的反封建闘争を褒め称えるだけでなく、一切の強権に反対し、個人の絶対的自由を追求する思想を描き出しました。1928年末に帰国し、長年にわたって、上海で著作・翻訳活動に従事しました。

1931年初め、長編小説「激流」、すなわち「家」を発表し、少年時代の生活体験にもとづいた、封建家庭の中での騙しあいや、新旧両世代の衝突を描き、封建社会の礼儀や道徳が青少年に与える弊害を浮き彫りにしました。そして五四時代の青年知識分子の初歩的覚醒と抗争を賛美し、読者に広く深い影響を与えました。同年、中編小説「霧」も出版。その後、相次いで、中編小説「海の夢」、「春の中の秋」、「芽生え」、「雨」、「電」、及び長編小説「甦る」などを発表しました。

蘇童は中国における現代先鋒文学の代表的作家

蘇童は中国における現代先鋒文学の代表的作家です。1963年、江蘇省蘇州市生まれ。1980年北京師範大学中文系に入学。卒業後、南京芸術学院や『鍾山』雑誌社に勤めました。現在は中国作家協会江蘇分会所属の専業作家です。主要作品は「妻妾成群」、「罌粟之家」、「紅粉」などです。1983年に小説を発表しはじめ、現在までの作品は110万字に及んでいます。彼の小説は、濃厚な江南の風情と唯美的文体で、中国の現代文壇に独自の旗をたてたことでその名が知られます。中国の著名な映画監督、張藝謀(チャン・イーモウ)が蘇童の「妻妾成群」を元にして撮影した映画「大紅灯篭高高挂」(邦訳:紅夢)がアカデミー賞にノミネートされたことで、蘇童は内外のメディアの注目の的となりました。 

蘇童の小説で書かれた主人公は、一人一人、心の中に闇を抱えています。その闇は、もとより、中国という国のありように根ざしたものには違いありませんが、蘇童は、はっきりと、個としての人間の精神の奥に住む闇に焦点を当てていると思われます。台詞と地の文が区別なく、ずらずらと続く不思議なリズムを持つ文体、日常用語で普通に綴る文のなかに、随所に象徴的表現が現れる、微妙なきしみの感覚。乾いた詩のような文章が構築する蘇童の世界は、恐怖と魅力に満ちています。

池莉は現代中国の先鋭的な女流作家

池莉は現代中国の先鋭的な女流作家です。1957年中国湖北省生まれ。現在は中国武漢市文学連合会の主席、第10期全国人民代表大会の代表でもあります。主な作品は「来々往々」、「初恋」、「太陽誕生」、「愛なんて」、「ションヤンの酒家」などです。彼女の作品は数多くの文学賞を受賞したほか、映画化されたものもあり、また、外国語に翻訳されたものも多くあります。

次は彼女の小説「ションヤンの酒家」の内容を紹介します。この作品は湖北省の大都市、武漢を舞台としています。主人公は来双揚という"やり手"の女性。彼女は最初、工場で働いていましたが、火事を起こしてしまい、職を追われ、漢口の吉慶街で屋台をやって、生計を立てていました。その後、鴨頸(家鴨の頭部。酒のつまみとなる)の店をやって、小金をもうけ、吉慶街の実力者に成り上がりました。 

張抗抗は中国の現代女流作家

1969年、杭州から志願して黒龍江鶴立河農場に下放。農場で8年間労働したあと、1977年、ハルピンの黒龍江省芸術学校に入学し、演劇の創作を学びました。1979年、黒龍江省文聯に移り、創作に専念します。1980年中国作家協会文学講習所第五期の学習に参加し、この年中国作家協会に加入、1982年には国際ペンクラブ中国ペンクラブセンターに加入しました。少女期から文学を愛好し、農場で労働していた頃は、仕事の合間に創作を学び、新聞や雑誌に散文や小説の習作を発表しました。1979年、短編小説「愛的権利」を書き上げ、翌年には「夏」が全国優秀短篇小説賞を、「淡淡的晨霧」が全国優秀中篇小説賞を受賞しました。1983年、「紅罌粟」が第一回上海文学賞を受賞。今までに2冊の短篇小説集、2冊の中篇小説集、2冊の散文集を出し、創作談、児童文学などと合わせて200万字余りの作品を書いています。そのうち短篇、中篇、散文の一部は、英語、フランス語、ドイツ語、ロシア語、日本語などに翻訳されて国外に紹介されました。

次に張抗抗が、自分の創作経験に基づいて、中国の小説の今後について語った内容をご紹介します。

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