中国茶の歴史

皆さんこんにちは、「songyun.org中国語教室」というコーナーを始めました。このコーナーでは中国に関する知識や中国語の勉強方法などをご紹介いたしますので、このウェーブサイトを有効にご利用していただき、この中国語教室が皆様のお役にたちますように心より願っています。

私も日々日本語と英語を勉強していきたいと思っておりますので、今後とも、よろしくお願いいたします。

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中国茶の歴史

『聊斎志異』に載ったゾッとする話「画皮」

夏の名物と言えばやっぱりお化け、怪談、ホラーですよね!映像コンテンツに関する調査によりますと、ホラーを見ると涼しくなると回答した人は38%で、体感温度がなんと平均4.9度も涼しくなると感じているということです。夏になると、特に、蒸し暑い夜、無性にホラーや怪談映画など見たくなる人が、大勢いると思います。

 中国では昔、仙人や狐鬼(こき)、妖怪などを描く怪談が多く伝わっていました。その中で、一番有名なのは、清の時代の怪異小説集、「聊斎志異」です。作者は、蒲松齢です。小説の内容は仙人、幽霊、狐狸の怪異譚で、当時世間で口から口へと伝わっていたものを筆記してまとめたものです。491篇の短編小説から構成されています。

 私は小学5年生の時、古文の勉強として、原文を読みました。その人間界と交錯していた怪異の世界に惹かれながら、背中に冷や冷やと感じた覚えがあります。小説に書かれている話は、さえない受験生のもとに美女に化けた狐やら幽霊やらがやってくるというものが多いです。神秘さや不思議を感じますが、人間よりも善良な狐や幽霊が多いからでしょうか、あまり怖くありません。

 その中で、珍しく本当にゾッとする話もあります。「古典エナジー」、今回は、この真夏の暑さを吹き飛ばすために、「聊斎志異」の中であの最もゾッとする話をご紹介します。

小翠―狐が化けた恩返し美人

古典エナジー」、今月は、清の時代の怪異小説集、「聊斎志異」に載った話を紹介しています。怪談を聞いて涼しくなってもらおうと言うことで、前回は、ぞっとする話し、「画皮」を紹介しました。いかがでしたか?

 今回では、怖くない話、狐が美人に化けて、恩返しをした話、「小翠」をご紹介します。「小翠」は、狐美人の名前です。

昔、中国の南の方に、王太常(おうたいじょう)という人がいました。まだ小さかった頃のある日の昼、ベッドで寝ていた時、空が曇って暗くなり、大きな雷が鳴りだしました。この時に、一匹の狐が部屋に入って来て、ベッドの下に隠れました。暫く立って雨がやみました。そして、ベッドの下にいた狐はすぐ出ていきました。

 数年後、王太常は科挙試験に合格し、侍御(じぎょ)という官職に昇進しました。そして、王は結婚し、元豊(げんぽう)という子供を授かりました。

師弟4人のキャラクター ~高橋恵子と周莉の対談(その2)

高橋:「古典エナジー」。今回も前回に続き、中国の四大奇書に数えられる「西遊記」をテーマにします。

:「西遊記」は日本でも数回もドラマ化或いは漫画化されるなどとても有名ですよね。ただ、日本のドラマ「西遊記」では、女優さんが三蔵法師役を演じていますよね。これ、大多数の中国人はなかなか理解できないんですよ。

高橋:う~ん、今風に言うと、イケメンだからなんじゃないでしょうか。

:まあ、確かに三蔵法師は美貌の持ち主です。中国のドラマでも、イケメン俳優が演じていたんです。でも、どんなに美貌の持ち主でも、女性が演じると、ちょっと違和感がありますよ。

高橋:そうですよね。実は日本でも多くの人がこれについて疑問を持っているようです。「西遊記」における三蔵法師は、悟空ら3人に「守られる存在」だから、守られるにふさわしいか弱い雰囲気を出すことが、女優に期待されているということらしいですよ。

老子を知る

中国の言い伝えによりますと、老子は紀元前6世紀の人物とされます。春秋時代に当たります。でも、あまりにも言い伝えが多くて、老子が実在の人物なのかどうかすら疑われています。老子は、神話上の人物という意見だったり、複数の歴史上の人物を合わせた人物だという説だったり、歴史専門家の意見も様々です。でも、「史記」を書いた中国一の歴史家、司馬遷が老子の伝記を書いています。と言うことは実在の人物として認めたわけですね。

 「史記」によりますと、老子は、姓は「李」、名は「耳」,字は「耼」。現在の河南省にあたる楚の国の出身です。周の国の書庫の管理者だったということです。書庫の管理者って、今風に考えると、国立図書館の館長みたいですよね。老子はある時、周の国勢が衰えるのを感じ、仕事をやめて牛の背に乗って西に向かいました。函谷関を通り過ぎる時、関守の尹喜(いんき)の求めに応じて、上下二巻の書を書き上げました。その書はもしかして、現在に伝わる「道徳経」なのです。老子のすべての思想を綴ったものです。その後、老子は関を出ました。その後の行方を知るものはいません。

学問に関する孔子の教え

孔子は今から2500年ぐらい前の中国の春秋時代の思想家、教育家です。中国だけでなく、世界的にみても最も大きな影響力を持つ人物の一人ですね。「朋あり遠方より来たる、また楽しからずや」有朋自遠方来、不亦楽乎。日本でもよく使われているようですね。友達が遠くから自分に会いにやってきてくれる、それは実に楽しいことだ。友達を迎える自分の喜びを素直に伝えることによって、相手もきっと喜んでくれるでしょう。

 この言葉の出典は「論語」です。「論語」は厳密に言えば、孔子の著書ではありません。孔子の没後、50から100年の間に、弟子たちが孔子と問答をして教えられた言葉や、孔子がいろいろな国をまわった時にその国の君主と行った対話、さらには、弟子が孔子に対して自分の意見を述べた言葉などを集めて全十巻二十編に編纂されたものが「論語」なのです。したがって、「論語」は孔子を中心とする「言行録」です。「論語」という本を開けると、学而第一に登場する最初の教えは、これです。"子曰、学而時習之、不亦説乎、有朋自遠方来、不亦楽乎、人不知而不慍、不亦君子乎。"

 子(し)曰(いわく)、學びて時にこれを習う、亦(ま)た説(よろこ)ばしからずや、朋(とも)あり、遠方より來たる、亦(ま)た樂しからずや、人知らずして慍(いきどおら)ず、亦(ま)た君子(くんし)ならずや。

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