中国茶の歴史

皆さんこんにちは、「songyun.org中国語教室」というコーナーを始めました。このコーナーでは中国に関する知識や中国語の勉強方法などをご紹介いたしますので、このウェーブサイトを有効にご利用していただき、この中国語教室が皆様のお役にたちますように心より願っています。

私も日々日本語と英語を勉強していきたいと思っておりますので、今後とも、よろしくお願いいたします。

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中国茶の歴史

孔子とその高弟(その1)

孔子には弟子が3000人いるとよく言われます。これはあくまでも大まかな数字で、およそ3500人いるという言い方もあります。2008年の北京オリンピック開会式のアトラクションでは、孔子が3000人の弟子を率いて、諸国を周遊していたシーンが再現されました。役者たちは、竹簡を手にして「朋あり遠方より来たるまた楽しからずや」など、孔子の多くの名言を読みあげました。とても感動的な場面でした。

 孔子の弟子には、優秀な人、即ち、「六芸(りくげい)」(「六芸」とは、六種類の芸です。「礼」は礼儀、モラル。「楽」音楽、詩歌、舞踊。「射」は弓術。矢を射ること。これは人間の心身をともに鍛えるためのものです。次は「御」馬車を操る技術。そして、「書」文字の読み書きから文学です。最後に、「数」、数学、算数です。)に精通する者は72人いました。「72賢人」と言います。さらにその中で、「孔門十哲」、10人の哲学者と呼ばれるトップクラス10人が目立っています。「論語」に載っている孔子との問答でも、よく名前が出てきている学をきわめた逸材です。さらに、「論語」の中で、一番露出の多い3人、いや、言い換えますと、最も目立つ3人の大弟子がいます。

叙事詩①~ムーランの詩

古来、中国文学の主流は一定の韻律(リズム)を踏む韻文~詩です。特に、自然の景色や友情などを歌う抒情詩が多いです。抒情詩と比べて、中国では叙事詩はあまり栄えませんでした。でも、前回ご紹介した「詩経」の「氓」をはじめ、民間の歌謡に由来する名作もたくさんあります叙事詩を通じて、昔の人々の生活や思いを知ることができます。

 今回は、「木蘭の詩」をご紹介します。これは南北朝時代の北朝の民間歌謡に由来するものとされています。中国史では、南北朝時代は、東晋が滅びる420年から始まり、隋が中国を再び統一する589年まで、中国の南北に王朝が並立していた時期を指します。その時、中国の国土は、北方には少数民族が支配した国が政権を掌握したり、分裂したりして国と国が対峙したりしていました。一方、南方には、今の南京を都として、4つの政権が林立していました。わずか170年間に、政権の交代が相次ぎ、国と国の間、北方と南方、それに、北朝と周りの少数民族の国々との間に、戦乱がずっと続いていた混乱した時期でした。国の政権が分裂すると、戦乱が続き、国民も戦争に巻き込まれ、不安な生活を余儀なくされます。そんな歴史背景で生まれた叙事詩、「木蘭の詩」をご紹介します。

思い邪なし~『詩経』

「古典エナジー」、今回は中国最古の詩集、「詩経」をご紹介します。

 儒教一色だった古代中国では、知識人たちが受験のために勉強しなければならない基礎知識が「五経」という五つの経典のようなものでした。その一つが、詩経です。「詩経」が記された時期は、だいたい西周の初期、すなわち、紀元前11世紀から、春秋時代の半ば、紀元前6世紀に至るまで、約500年間と推測されています。 詩歌305首収められていますので、よく大まかな数字で「詩3百」と呼ばれます。「風」、「雅(が)」、「頌(しょう)」の3部から構成されています。分かりやすく説明しますと、風は諸国の民謡、雅は宮廷の歌、頌は祭礼の歌です。詩経に載っている詩は、もともとリズムをつけて歌うことができるし、振りを付ければ、踊ることもできます。孔子は305首を全部弦楽器で演奏しながら歌ったことがあるそうです。詩経は漢詩の源、大元になるものです。後に中国で盛んになった唐詩や宋詞なども、韻律ということにとてもこだわり、まるで歌うように詠んでいました。

『史記・項羽本紀』④~垓下の戦いと覇王別姫~

垓下の戦いは、紀元前202年に項羽の楚軍と劉邦の漢軍との間で、垓下(現在の安徽省蚌埠市固鎮県)を中心に行われた戦いです。この戦いで項羽が死んだことによって、劉邦の勝利が決定し、楚漢戦争が終結しました。

 まず、垓下の戦いまでの流れを簡単にご紹介します。

 紀元前203年、長く対峙していた楚漢両軍であったが、楚軍は食糧不足、漢軍は劉邦の負傷や劉邦の父・劉太公が楚軍に捕らわれていたことなどもあり、両軍とも戦いを止めることを願うようになっていました。そこで、漢軍から弁士・侯公が楚軍へ使者として送られ、天下を二分することで盟約が結ばれました。

中国古代最長の叙事詩~孔雀東南飛①

中国の漢の末期、200年ごろ、現在の安徽省にあたる廬江郡の役所に焦仲卿という下級役人がいました。妻の劉蘭芝とは、とても夫婦仲がいいのですが、焦の母親はこの嫁を気に入らず、実家に追い返してしまいました。実家に戻って嫁の劉蘭芝は再婚はしないと決意しました。しかし、家族に再婚を強要され、結局、川に飛び込み自殺してしまいました。夫の焦はそれを聞いて、庭の木に首を吊り、後を追いました。当時の人はこの悲しい話を聞き、詩として書き残しました。詩のタイトルは「孔雀東南飛(孔雀が南東に向かって飛んでいく)です。

 孔雀が南東に向かって飛んでいます。少し飛んではさまよっています。

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