貨殖列伝(下)
Submitted by whenis on Mon, 10/07/2019 - 20:16(貨殖列伝・序言)周の時代、軍師姜太公(じゃんたいこう)は、現在の山東省にある営丘という土地を領地としてもらった。その土地はほとんどアルカリ性の貧しい土壌で、住民は少なかった。姜太公は地元の女性に紡績の仕事を与えると共に、魚や塩を外部に流通させることを支援した。すると、各地の住民はひっきりなしにここにやってきた。その後の春秋戦国時代になると、姜太公の領土を基に斉の国ができた。この斉の国で作られた冠や帯、衣服、靴などは全国範囲で売られるようになった。東中国海から泰山までの小さい国々の王が恭しく斉の君主に謁見するようになった。後に、斉は一度衰退したが、その時の名人管仲は太公の政策を修正。物価を調節し、資金を貸し付ける部門を設置した。これによって、斉の桓公は覇王となり、各国の諸侯と何回も会合を開き、世の中のルールを正しい道に乗せた。管仲も税金を集めたりし、斉の家臣でしかないのに、諸侯国の君主よりも金持ちになった。斉の強い国力は後の威王や宣王までの時代にも続いた。
*姜太公って、どんな人物なのか