梅蘭芳記念館(下)
皆さんこんにちは、「songyun.org中国語教室」というコーナーを始めました。このコーナーでは中国に関する知識や中国語の勉強方法などをご紹介いたしますので、このウェーブサイトを有効にご利用していただき、この中国語教室が皆様のお役にたちますように心より願っています。
私も日々日本語と英語を勉強していきたいと思っておりますので、今後とも、よろしくお願いいたします。
梅蘭芳(メイ・ランファン)。京劇の役者として、この人ほど日本人になじみのある人はいないと思います。いや、日本ばかりでなく、アメリカやヨーロッパでも広く知られ、「文化大使」の名前さえついています。この人を記念する、梅蘭芳記念館は、北京の中心部、北海公園から北西に2キロほど離れた徳勝門内大街にあります。
こじんまりとした四合院の建物です。梅蘭芳は1984年、北京の前門近くで、やはり京劇役者の子として生まれました。祖父もやはり役者でしたから、なるべくして京劇の道を歩んだといえます。梅蘭芳はこの場所に1949年から、亡くなる1961年まで住み続けました。四合院の庭が気に入り、内外から多くの訪問客を迎えたそうです。
1962年、梅蘭芳の逝去1周年を悼むさまざまな活動が行われました。時の周恩来総理が、彼の足跡をしのび、中国文化を伝える教育の場にするため、住居を記念館にしたらどうか、と提案しました。しかし、文化大革命など混乱の時期もあり、一般開放されたのはずっと後、1986年になってからです。記念館の文字は、鄧小平氏によるものです。展示室は4部屋あります。最初の部屋では豊富な写真によって彼の足跡が分かります。父や祖父ばかりでなく、14人の先生から京劇のしぐさを学びました。外国訪問のトップは日本でした。1919年と24年、そして第二次大戦後の1956年。日本公演もしていますし、歌舞伎役者との交流をとても大事にしていました。5代目中村歌右衛門さんと並んだ写真も飾ってありました。アメリカやロシア公演も大成功で、まさに文化大使でした。
梅家の食堂だったところには、舞台用の衣裳が飾ってあります。応接間や居間、寝室も当時のままの調度品が並んでいます。収蔵品は1万点以上にも及びますが、もともと狭い敷地のため、全部は展示できないそうです。
1994年から館長を務める劉占文さんは、「あまり広くないので、一度にたくさんの人が来てもお相手できません。でも、京劇ファンの方々が、ここを訪れてのんびりした時間を過ごしてほしい」と語っていました。