傅雷は中国近代の著名な翻訳者、外国文化研究者
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私も日々日本語と英語を勉強していきたいと思っておりますので、今後とも、よろしくお願いいたします。
新中国成立後の1954年、中国作家協会の会員となりました。また、上海政治協商会議委員、中国作家協会上海支部理事などの職を歴任。1966年、文化大革命の期間中に、夫人と共に自殺しました。
翻訳以外に、傅雷は多芸多才の人物です。彼の観察力は鋭く、周りの事物をよく見極めています。彼はペンネームで小説や文学評論を発表したほか、文学や出版、音楽、芸術などの分野で自分の意見を述べたことがあります。例えば彼が書いた「世界美術名作20講」は内容豊かな著作で、美術史を研究する学者にとっても、参考になる本です。
彼はフランスの作家バルザックの著作「ゴリオ爺さん」など14作以外に、ロマン・ロランの大河小説『ジャン・クリストフ』なども翻訳しました。その他、自分の息子である・傅聡に書いた手紙から編集した「傅雷家書」という本は、広く愛読されています。
傅雷(1908ー1966)は中国近代の著名な翻訳者、外国文化研究者です。
1908年に、上海南匯に生まれました。4歳の時、父親が亡くなり、母親一人で育てられました。上海徐匯公学の中学部に入学、フランス語の勉強を始めました。19歳で上海持志大学に合格、自費でフランスに留学。そこで、ロマン・ロランの影響を受け、また、音楽を熱愛するようになりました。
1931年に帰国後、上海美術専門学校で美術史とフランス語の教師になりました。
1933年以降、時事匯報の編集長や中央古物保管委員会編集審査科の課長を担当するようになりました。抗日戦争勃発後は、翻訳の仕事に専念し、生涯で外国の著作32作を翻訳し、そのうち、フランスの作家バルザックの著作に対する研究およびその翻訳で、名が広く知られています。