紀元前二七○○年頃までに遡る中国の茶
皆さんこんにちは、「songyun.org中国語教室」というコーナーを始めました。このコーナーでは中国に関する知識や中国語の勉強方法などをご紹介いたしますので、このウェーブサイトを有効にご利用していただき、この中国語教室が皆様のお役にたちますように心より願っています。
私も日々日本語と英語を勉強していきたいと思っておりますので、今後とも、よろしくお願いいたします。
中国はお茶の故郷であり、お茶が人々の口に入ったのは、世界最古とされるお茶の神様『陸羽』の著書『茶経』では、紀元前二七○○年頃までに遡ります。また、神農が茶葉を使って病気を治した、という記述も残っています。
お茶は最初に飲用として使われたのではなく、食用、薬用、祭品として用いられていました。西漢の王褒によって記された『僮約』(紀元前59年に書かれた)にある、荼が茶の前身と言われており、中国茶が一般的な飲み物になったのは、約2000年前、ということになります。広く一般的に普及し始めたのは、唐代からで、宋代に更に盛んになり、明代で今日の基礎が出来上がったと言われています。
唐代のお茶は『団茶』中心でした。それまでは『煮茶法』と『泡茶法』が一般的でしたが、新たに『煎茶法』が陸羽によって考案されました。『煮茶法』は沸騰した湯に茶の粉末を入れたり、冷水に入れて一緒に煮る方法、『泡茶法』は餅茶を朱色になるまで炙り、それから砕き、釜に入れ水を出し、そして姜、葱や柑などを加えるものです。『煎茶法』は水を沸かしてから粉末を投入し、かき混ぜながら3度目の沸騰時に止める、というものです。
宋代では隋唐の時代にあった煮茶や煎茶を伝承した上で、新たに『点茶』も生まれ、それまで団茶が主流だったお茶が庶民でも楽しめる散茶(芽茶)や草茶が多くなりました。
中国茶は明代に入ってから、その製造方法から飲用方法まで、全てが変革されました。散茶がすっかり主流の座に昇り、『沖泡』という言葉が使われ、お茶の楽しみ方が更に簡単、簡略化されました。急須もこの時代に生み出されたものです。
清代に入ってからの中国茶は、明代の喫茶をそのまま受け継ぎ、さらに発展しました。そして、福建省や広東省では烏龍茶の『功夫(工夫)茶』が流行り、『小壷泡烏龍』といい、お茶だけではなく、茶器に対しても大変な拘りを見せています。
主な茶書
「茶経」 唐代、お茶の神様と呼ばれる陸羽の著書。公元七五八年前後に書かれた、世界最古のお茶の本。三巻(上、中、下の3巻)十節からなり、植物学、農芸学、生態学、生化学、薬理学、水文学、民俗学、史学、文学、地理学、鋳造および製陶までの知識まで網羅しています。
「煎茶水印」 唐、張又新の著書。約9百文字からなり、水に重点を置いた書物です。お茶と水の関係、お茶に与える水の影響、技法、茶具などについて書かれています。
「十六湯品」 唐の書物。煮水、沖泡、注水、盛器、燃料について書かれています。
「東渓試茶録」 宋、宋子安の著書。約3千文字からなり、茶園の地理、自然環境とそれぞれの特徴など、採茶の時間と方法、製茶による味の変化について書かれています。
「大観茶論」 宋の皇帝徽宗の著書(1107年)。3千文字からなり、製茶技術とお茶の品質について書かれています。
「茶譜」 明、朱権(明の皇帝朱元璋の第十七番目の息子)の著書。2千文字からなり、茶葉の評価や煮茶用具に重点を置いて書かれています。
「茶疏」 明代1597年の書物。約4千7百文字からなり、茶の心得について書かれています。明代の中国茶書籍の中でも最も有名な一冊とされています。
「茶解」 明代1600年の書物。3千文字からなり、色・香・味の重要性について書かれています。