中国茶の歴史

皆さんこんにちは、「songyun.org中国語教室」というコーナーを始めました。このコーナーでは中国に関する知識や中国語の勉強方法などをご紹介いたしますので、このウェーブサイトを有効にご利用していただき、この中国語教室が皆様のお役にたちますように心より願っています。

私も日々日本語と英語を勉強していきたいと思っておりますので、今後とも、よろしくお願いいたします。

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中国茶の歴史

炎黄芸術館

炎帝と黄帝、古代中国には伝説上の二人の有名な皇帝がいたそうです。民族の祖先です。この二人の名前を縮めて「炎黄」。仲間うちで、「やっぱり中国人だ」「中国人は一番さ」といったニュアンスの時に使われるようです。日本でいうなら「我こそは日本男児」というところでしょうか。先日、人民日報に中国国際人材交流基金が主催する「炎黄賞」の受賞者が決まった、という記事がありました。「炎黄」はいまの中国で脈々と生きているのです。

 今回の「博物館めぐり」は、炎黄芸術館を訪ねましょう。北京の北、第四環状道路の安慧橋からアジア大会選手村(亜運村)の方へ、北へ300メートルほど進んだところにあります。唐宋の時代の雰囲気を持つこぢんまりとした建物です。

 それもそのはず、この芸術館は人民芸術家といわれた画家・黄冑が個人で作り上げた美術館です。館長は夫人の鄭聞慧さんです。鄭さんによれば、最初は、「華夏」とか「東方」とかいろいろ候補にあがりましたが、本人の名前も黄、そして中国人に親しみを与える炎をとり、いまの名称になりました。

 さて、黄冑さんはどんな画家だったのでしょう。1925年河北省の生まれ。鄭さんや家族によると、ロバをはじめ動物の絵を好み、水墨画の技法で人物画を描くのを得意としました。五四運動で破壊された中国画の伝統を復活させた功労者でもあります。

北京宣南文化博物館

北京の中心部に入るには、いくつかの門をくぐらねばなりませんでした。東直門、西直門など多くの門は、いま、地下鉄2号線の駅名となって、その名残りを留めています。地下鉄2号線は、北京駅から時計回りで行けば、前門、復興門、雍和宮などを回って戻ってくる環状線です。乗り間違いの心配はないので、北京観光の折には、ぜひ試してみるといいでしょう。

 さて、その宣武門のあった南の地域は、宣南と呼ばれ、古くから文化人や学者、そして京劇の俳優が住み、また商業の中心としても栄えました。故宮の一帯が皇帝やお役人の世界だったとすれば、宣南は庶民文化が花開いたところでもあったのです。

 その歴史が一目で分かるところが、北京宣南文化博物館です。もともとは、長椿寺というお寺でした

 お寺ができたのは1592年、明の時代です。時の皇帝は、長寿と健康を祈って、「長椿寺」という名前を贈ったそうです。そういえば、椿はなかなか枯れることがなく、いつまでも青々としていて、日本でも長生きのシンボルになっています。回族がたくさん住む牛街に通じる道は長椿街ですが、この名前もお寺から来ています。

世界一の大仏「楽山大仏」の神秘を探る

楽山大仏は、凌雲大仏とも呼ばれています。世界最大の仏像だとされるこの大仏は中国四川省楽山市の南、岷江東岸の凌雲山にあり、大渡河、青衣江と岷江が合流する地点に臨み、山であり、仏像でもあり、3世代の職人が約90年かけて完成させたものです。

 楽山大仏は山を背に建造され、仏像の頭部が山頂と同じ高さとなり、両手が膝の上に置き、両足が河に踏む形となっており、均整のとれた体つきと厳かな表情を見せています。仏像の彫刻は細部に至るまで精巧そのもので、古代職人の知恵を感服させると同時に、畏敬の念を覚えさせます。

 「楽山大仏はスフィンクスやネイル河谷にある王家の谷など、世界の他の石刻と匹敵できる」、「こんなに奇妙な自然と文化の景観があるなんて不思議に思う」と、国連世界遺産委員会の上級顧問を務めるジム・サンセール博士は1996年に楽山大仏を見学した際にこのように語りました。彼の目から見た楽山大仏は世界に公認された著名な石刻芸術の逸品と匹敵できるものだということです。

 「楽山大仏は中国の僧侶が残してくれた貴重な財産であり、古代労働者の汗と知恵の結晶であることから、全人類の遺産として保護すべきだ」と、国連世界遺産委員会の専門家シルバー教授はこう語りました。歴代に大切に保護されてきたため、千年の歴史を経た楽山大仏は現在も完璧な状態となっています。

孔廟と国子監

中国の著名な思想家、そして教育家、孔子。「孔子学院」の名をつけた学校が、世界各地に設けられ、いまなお、孔子は中国文化、中国語教育の先兵役を担っています。ふるさとは、山東省の曲阜で、ここでは毎年、盛大な孔子祭りが行われます。

 その孔子を祠り、最高教育の場となった所が北京にあります。「孔廟、国子監」と名づけられた博物館を紹介しましょう。場所は、地下鉄2号線の安定門駅から歩いて15分ほど、ラマ教の有名なお寺・雍和宮はすぐ近くにあります。  

国子監街という東西に走る古い道を捜してください。真ん中あたりに「国子監」と「成賢街」と書かれた鳥居のような門があります。中国では牌楼と呼んでいます。この鳥居に挟まれた部分が、「孔廟、国子監」というわけです。ところが、今は大規模修理の真最中で、建物はテントなどで覆われて中に入れません。近代になってからは、1930年代と50年代に続く三度目の大規模な工事で、来年の7月にすべてが終わります。

火炉城市(huǒlú chéngshì)

「火炉」はコンロ、ストーブの意味で、「城市」は都市。「火炉城市」でコンロ都市、夏に極めて暑い都市を指します。ほとんど、長江流域及び華北地域、黄河―淮河一帯に集中し、暑さの順位は時代によって変更もあります。

 民国時代の「火炉城市」はいずれも長江沿いにあり、重慶、武漢、南京、長沙だとされていました。

 新中国成立後、福州、重慶、長沙、南昌、杭州、上海と南京が「火炉城市」とされました。

 しかし、これらは民間での言い方で、科学的な根拠はありませんでした。2012年8月、国家気候センターが1981年から2011年まで31年間の気象観測データから、中国の「火炉城市」トップスリーを選びました。それは重慶、福州と杭州でした。

 最近では、雲貴高原を除いて、中国の長江緯度地域にある都市の夏は気温が高く、湿度の高い日が長期間続く特徴があるほかに、河北地域の北京、天津、石家庄と黄河緯度地域の太原、西安などの北方都市にも気温が高く、湿度も高い日が増えてきました。

 このような気象の変化は温暖化による現象だとされ、人々の環境意識を喚起しなければなりませんね。

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