中国茶の歴史

皆さんこんにちは、「songyun.org中国語教室」というコーナーを始めました。このコーナーでは中国に関する知識や中国語の勉強方法などをご紹介いたしますので、このウェーブサイトを有効にご利用していただき、この中国語教室が皆様のお役にたちますように心より願っています。

私も日々日本語と英語を勉強していきたいと思っておりますので、今後とも、よろしくお願いいたします。

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中国茶の歴史

北京中華民族博物院

中国は多民族国家です。13億といわれる全人口のうち、圧倒的に多いのは漢族です。納西族、苗族、タイ族、回族、満族、朝鮮族……。みなさんは、どのくらいの民族の名前を覚えているでしょうか。全中国には56の民族が暮らしているそうです。これらの民族の歴史や生活に触れることができる場所が北京にあります。中華民族博物院、別の名を中華民族園といいます。「民族」を主眼にした博物館の役割に、散策が楽しめる公園部分からなっています。

 天安門広場の真北、国家オリンピック公園地区に、中華民族博物院はあります。1992年に竣工した北園、97年に竣工した南園、合わせて40万平方メートルという、とてつもない広さです。ここに、約40民族の居住区が再現されています。

 案内してくれたのは張沢菊さんという摩梭族のお嬢さんです。雲南省の麗江に多く住み、納西族の仲間だそうです。

 張さんによれば、1600万人いる壮族のような大民族もいれば、数千人という文字通りの少数民族もいます。最も少ないのは、チベット自治区に住む珞巴族で2905人だそうです。ここには自民族の文化や伝統の紹介のために、各地からの少数民族が交代でやって来て、1年で三分の一は入れ替るそうです。張さんは、北京での仕事に誇りを持っています。

中国美術館

中国の博物館というと、古い歴史に関係するものが多く並んでいる、そんな印象を受けます。ちょっと趣向を変えて、美術館はどうでしょう。今回は中国美術館を訪ねます。

 場所がなんといってもいい。故宮の北門を出ると五四大街に出ます。道を渡れば向かい側は景山公園です。この五四大街を東の方にぶらぶら歩くこと10分、風格のある建物、中国美術館が見えてきます。新中国成立後、北京には10大建築物が作られましたが、人民大会堂、国家博物館(元革命歴史博物館)、北京駅などと並び、ここもその一つです。

 建築が始まったのが1958年、1963年に国家一級博物館としてオープンしました。館の面積は2万7000平方メートル、これを6万7000平方メートルまで広げる計画があるそうです。中国美術家協会の理事で、副館長の馬書林さんによると、ここは、近現代の中国の大家を中心に10万点以上の作品を擁しています。中、小の展示室ではこうした伝統画の常設展が短い期間で開かれます。そして、大ホールでは企画展。取材で訪ねた時は「アメリカ芸術300年展」が開かれていました。アメリカ原住民・インディアンの生活、初代大統領の誕生、そして前衛アートまで、これほど規模の大きいアメリカ展の試み初めてといい、平日にもかかわらず大にぎわいでした。

梅蘭芳記念館(上)

京劇は中国が世界に誇る文化です。きらびやかな衣裳、ダイナミックな役者さんの動き、ドラの音、本場の雰囲気を味わいたい、と思う人はたくさんいます。しかし、短い日程で中国旅行にやってくる人たちにとっては、公演日程などタイミングが合わないこともあり、あきらめざるを得ません。

 梅蘭芳という京劇の役者の名前を聞いたことがあるでしょうか。この人の名前をつけた梅蘭芳記念館という小さな博物館が北京にあります。今回はここをご案内しましょう。

 1994年から館長を務める劉占文さんは、社会、文化教育の基地としても記念館を役立たせたいと頑張っています。劉さんの話や館の資料から京劇の歴史を簡単にたどってみます。京劇は、歌と踊りと伴奏が一体となった総合芸術です。歌やせりふ、これにしぐさ、立ち回りといった動きが加わります。200年に及ぶ歴史を経て、大衆に愛されるようになり、北京や上海には専用の劇場がたくさんありました。北京に残るそんな劇場の一つを訪ねてみると、観衆はスイカの種をかじり、お茶をすすりながら、舞台を楽しんでいます。

 さて、梅蘭芳は1894年、北京の前門、庶民の街に生まれました。祖父が清朝時代の著名な京劇役者、父も役者、母や祖母も役者さんの娘というように、まさに梨園の名門に生まれ、役者にはなるべくしてなった、ともいえるでしょう。

北京鐘鼓楼文物保管所

元、明、清と三代にわたって北京の人たちに時を告げつづけた場所、それが鐘楼と鼓楼でした。鐘はゴーンという鐘、鼓はドン、ドン、ドンという太鼓です。今回の博物館めぐりは、この北京鐘鼓楼文物保管所、故宮の北、北海公園に近いところに建つ鐘鼓楼です。

 明の時代、1420年に建てられたといいますが、火災などもあり、今、お目にかかれるのは、1749年、清の時代に改築されたものです。

 鼓楼には一つの大太鼓と24の小太鼓がありました。昔、中国では、2時間をひとくくりにして「更」と呼びました。水時計が正確な「更」を告げると、これを聞いた太鼓の打ち手25人が、リーダーの指示のもとで太鼓をたたくのです。そして、鐘がつかれます。太鼓と鐘、合わせて108回、これら「更夫」と呼ばれる人たちで、市民に時間が伝えられたのです。複製品ですが、水時計も鼓楼には残っており、30分に1回で、太鼓の実演を見ることもできます。

 太鼓と鐘の音は、いまの前門あたりまで伝わったといいますから、まさに都のシンボルだったのでしょう。ところで「更夫」さんたち、うっかりして太鼓をたたくのを忘れたりしなかったのでしょうか。文物保管所の朱英麗さんに聞いてみたら、「記録にそんなことが残っていませんが、みんな大きな使命感を持っていたはずですよ」とのことでした。

北京皇城芸術館

北京には4つのお城の名前がつけられています。中心となるのは紫禁城、つまり故宮です。それを囲むようにして、皇城と呼ばれる地域があります。北の地安門、東の東安門、南の中華門、西の西安門に囲まれた一画です。その外側、いまで言えば北京をぐるりと回る地下鉄2号線に囲まれた部分が内城、そして前門から南の一帯が庶民が住んでいた外城です。もちろん、いまは地名として残っているものの、門そのものはほとんどが取り壊されています。

 さて、その皇城の全景をめぐり合えるのが、その名も北京皇城芸術館です。中に入ると、18世紀の清の時代の皇城が500分の1の模型で作られています。故宮の屋根はいまと同じ黄色、故宮を取り囲むように大、小の住居が並んでいます。故宮に仕える職員の住まいもあれば、医師や衣裳を作る専門家の家、或いは食糧の貯蔵庫なども並んでいます。故宮の広さは南北に2790メートル、東西に2300メートルというのも、この模型で分かりました。

 この皇城芸術館は、故宮の東側にあります。故宮から長安街を東の方向、つまり北京飯店や王府井の方向に歩き出すと、高い赤い色の塀があります。この中は、菖蒲河公園といって、水が流れる散策路になっています。この公園の中にあるのが皇城芸術館です。

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