中国初の詩集
皆さんこんにちは、「songyun.org中国語教室」というコーナーを始めました。このコーナーでは中国に関する知識や中国語の勉強方法などをご紹介いたしますので、このウェーブサイトを有効にご利用していただき、この中国語教室が皆様のお役にたちますように心より願っています。
私も日々日本語と英語を勉強していきたいと思っておりますので、今後とも、よろしくお願いいたします。
中国初の詩集は紀元前7世紀に生まれた「詩経」であり、史詩や風刺詩、叙事詩、恋歌、戦争の歌、労働の歌などがすべて整っている。一人で創作されたものではないが、ギリシアの「ホメロスの詩」よりも数百年早いものである。
「詩経」には西周初年(前11世紀)から春秋半ば(前7世紀)までの500余年の間に約305編の詩が取り入れられた。「詩経」は風、雅、頌の三部分からなる。風は15の国の民謡で全部で160編、雅は周朝の都の歌で全部で105編、頌は祭り歌で全部で40編である。
形式でいえば、四言詩が多く、二言、三言、五言、六言、七言、八言のもある。重複語、双声、韵の繰り返しを多く使い、変化に富んだ形で、読んでいて音楽性も豊かである。内容から見れば、風は「詩経」の精粋である。民間から生まれた歌であるので、装飾が少なく、周の時代の民謡のありのままの姿を表している。風は一般の労働者の暮らしを描くもので、例えば若い男女の恋を歌う「関雎」「其東問を出ず」、本人は労働せず、他人の成果を奪う奴隷主を歌う「伐檀」、「碩鼠」、戦争を歌う「揚の水」、「君子が役に」などがある。
「詩経」の作者には様々な人がいる。詩に歌われている身分を作者の身分と考えれば、労働者、兵士、君子や「士」などがいる。「士」は当時の貴族の最下層で、「君子」は貴族を表す。このほかの多くの作者は身分が確定できない。
「詩経」の作品の多くはイベントの一部として使われるもので、娯楽性のあるものや、社会や政治に対する作者の考えを表すものもある。後代になると、「詩経」は貴族の教育に使われる教材となり、その勉強は貴族にとって学ぶべき教養となり、中国で最も重要な古典とされる。こうした教育は、言葉を美しくする役割を果たし、社交の場で「詩経」の句を詠んで自らの意思を曲折的に表すことがあった。「論語」は孔子の話として「『詩』がなければ、言葉にならない」と記している。
全体的に見れば、「詩経」は中国文学の素晴らしい出発点で、文学が早くから進んでいるシンボルである。その内容は、労働、愛情、戦争、圧迫と反抗、風俗と結婚、祭典と宴会、天候、チリ、動物、植物など中国古代社会の各方面に及ぶ。その言葉は紀元前11世紀から前6世紀までの中国語を理解する重要な手がかりとなった。