九牛一毛(きゅうぎゅういちもう)

皆さんこんにちは、「songyun.org中国語教室」というコーナーを始めました。このコーナーでは中国に関する知識や中国語の勉強方法などをご紹介いたしますので、このウェーブサイトを有効にご利用していただき、この中国語教室が皆様のお役にたちますように心より願っています。

私も日々日本語と英語を勉強していきたいと思っておりますので、今後とも、よろしくお願いいたします。

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牛にはたくさんの毛がありますよね。九匹の牛なら、更に九倍の毛になります。たくさんある中で、たった1本の毛は、どんなに少ないかってことがよく分かりますね。たくさんいる牛に生えた多くの毛の中の一本という意味から、問題にならないほどの小さなことを表す四字熟語です。取るに足りない些細なことを形容します。

 中国語の古語には、数字はいつも確かな数ではなく、「多い」或いは「少ない」という漠然とした意味を表すことが多いです。ですから、この言葉では、「九牛」は九匹の牛ではなく、九匹よりもずっと多くの牛、たくさんの牛を指します。そうすると、「九牛」は、広い範囲となります。そんな広いものに対する一毛というのが、極端に言えば誤差のような物の数にも入らない、くだらないものですね。

 中国で初めてこの「九牛一毛」を使った人は、『史記』を書いた偉大な歴史学者、司馬遷です。司馬遷は、歴史書『史記』を編纂し、大きな功績を残しましたが、個人的な運命は挫折ばかりでした。

 司馬遷は、北方の少数民族、匈奴との戦争で失敗し、捕虜となった李陵(りりょう)を弁護したため、当時の皇帝、前漢の武帝の怒りに触れました。宮刑、これは男性を去勢する刑罰ですが、当時では死刑に次ぐ重刑です。司馬遷は、そんな屈辱的な宮刑を処されました。

 司馬遷は4年後に大赦によって釈放されました。2年ほど前、友人の任安(じんあん)から手紙を受け取っていましたが、まだ返事を書いていないことを思い出しました。歴史書の編纂を決心した司馬遷は、この並々ならぬ大業への決意と自分の思いを返書の、『任少卿(ジンショウケイ)に報ずるの書』に綴りました。「もしも、私が法に従って、死刑を受けたとしても、多くの牛の中から、一本の毛を失ったようなもので、虫けらの生き方などと、変わることもないだろう。」と書きました。

 司馬遷は李陵を弁護したため、死刑を宣告されました。しかし、司馬遷には、まだ自分と父親の夢、つまり、歴史書を書くことが出来ていないのです。そんな夢を実現するため、司馬遷は宮刑を受け入れました。もし、自分が死んだら、権力を持っている人たちにとっては、取るにも足りない「九牛一毛」のようなことだと、自分の惨めな運命を嘆いたのです。そのときの司馬遷にとっては、死ぬことの方が簡単で、行きつづけることの方が辛かったでしょうね。

 「私は虫けらのような生き方がいやだ。私の心の中にまだ出し尽くしていないものがある。死んでしまえば父と私の著作が世に残らない。我慢して生きるしかない」と、司馬遷は色々考えたと思います。

 「九牛一毛」、取るに足りない些細なことを形容する言葉です。

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