北京地下鉄のたび ー宣武門(宣武门站)ー

皆さんこんにちは、「songyun.org中国語教室」というコーナーを始めました。このコーナーでは中国に関する知識や中国語の勉強方法などをご紹介いたしますので、このウェーブサイトを有効にご利用していただき、この中国語教室が皆様のお役にたちますように心より願っています。

私も日々日本語と英語を勉強していきたいと思っておりますので、今後とも、よろしくお願いいたします。

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この門は他の門と同様に、時代の流れとともにその名を変えています。元時代には、中国古代の書物『周易』の言葉に由来し、「順天門」と呼ばれ、明時代は、中国の天文学者である張衡の著作『東京賦』の中の『武節は宣なり』という言葉から現在の名前となりました。そして、もう1つちょっと怖い俗称も持っていました。宣武門の外には刑場があり、罪人はこの門をくぐって刑場へと向かいました。門の上には「後悔遅」という3文字が掲げられていたそうです。このため「死の門」と呼ばれていたのです。門自体は民国時代に撤去されました。

 観光スポット

 民国国会議場(民国国会议场)

 1910年に清政府は、憲法制定の準備としてここに京獅法律学堂と資政院を建てたのがはじまりで、辛亥革命の後、国会議場となりました。

 アクセス:地下鉄A1出口出て、宣武門西大街に沿って西へ直進。佟麟閣路を右へ。

 中華聖公会教堂(中华圣公会教堂)

 中華聖公会教堂は、かつて中華聖公会華北地区の総堂で、北京で最も早く建設されたもので規模も最大であり、キリスト教の中心となる教会でした。もともとは清政府の高官の私邸だったのですが、1900年にイギリス教会がここに教堂を建てました。建物は、十字型で、屋根には8角塔が置かれ中国と西洋の融合が見て取れます。中国近代建築の代表作ともなっています。今は、企業の事務所として使われています。

 アクセス:地下鉄A1出口出て、宣武門西大街に沿って西へ直進。佟麟閣路を右へ曲り、

 そのまま北へ直進。

 宣武門天主堂(宣武门天主堂)

 この教会は、北京市の南にあるため市民には「南堂」と呼ばれています。北京で最も長い歴史をもつカトリック教会です。1573年から1619年にかけてイタリア人宣教師、マテオ・リッチ神父により建てられました。しかしその規模は小さく、後にドイツイエズス会のアダム・シャール神父によって建て直されました。1775年には火災があり、翌年に修復、1900年には義和団によって焼き払われ、1904年に修復されました。多くの困難に遭いながらも、幾度となく修復され今日まで至っています。また中国語、英語、ラテン語、韓国語によるミサが行われており、国内外の信者の宗教活動の中心となっています。

 アクセス:地下鉄B出口出て、すぐ。

 グルメ

 彩雲之滇雲南菜館(彩云之滇云南菜馆)

 とっても特色がある雲南料理レストランです。建物はタイ族の様式で、スタッフたちは皆タイ族特有の民族衣装を身につけています。本格的な雲南の米の麺(米线)がお勧めです。

 アクセス:地下鉄B2出口出て、すぐ。

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