中国語講座

皆さんこんにちは、「songyun.org中国語教室」というコーナーを始めました。このコーナーでは中国に関する知識や中国語の勉強方法などをご紹介いたしますので、このウェーブサイトを有効にご利用していただき、この中国語教室が皆様のお役にたちますように心より願っています。

私も日々日本語と英語を勉強していきたいと思っておりますので、今後とも、よろしくお願いいたします。

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新入門編は初めて中国語を学ぶ方やもう一度基本からはじめたい方へ、応用編は中国文化をより深く理解し中国語を身につけたい方へ、役立つ内容をめざしています。

山中

作者、王維は盛唐の詩人。何度も紹介していますね。自然を詩に詠みこむことや山水画を得意としました。今日、紹介した詩は、そんな王維らしさがよく現れているのではないでしょうか。詩の中には「紅葉」の文字がありますが、目に浮かぶ情景は秋たけなわの艶々した紅葉ではなく、冷たい風に晒され枝に数枚残る紅葉です。荊渓は、地名です。湛然(たんねん)という天台宗の僧侶が住んでいた地です。王維も仏教に帰依していたといいますから、彼の詩にこの地名が登場するのも納得できます。夏の間はこんこんと流れていた水が秋、そして冬になると枯れて、川底の石さえも見えてしまうのでしょう。この白い石も艶々した白ではなく、ざらっとした冷たい感じがします。みどり深い山の中は、確かに太陽の光も届かず、湿っぽい感じがしますね。雨ではないのに、着ていたものがしっとり濡れる。ふるさと静岡の天城の山の中を歩いた時に、こんな感じだったような気がします。

独酌

作者、牧牧は晩唐の詩人。現在の陝西省西安の人。杜甫を「老杜」と呼んで、この杜牧を「小杜」ともいいます。歴史や風雅な景色を詩にしました。中でも「江 南の春」はとても有名で、江戸時代以降、日本でも好まれました。タイトルの「独酌」は、一人酒ということですね。とっくり片手に一人で日本酒と言うのは、 なんだか冬が似合う気がします。窓の外は、風混じりの雪とは、ずいぶん寒そうです。でも炉を擁してと有りますから、炉のある部屋で暖を取っているのでしょ う。始めに風雪の文字があったので、逆にずいぶん暖かそうに感じます。酒缸を開くの酒缸はお酒の甕です。ますます、身も心もぬくぬくしてきますね。ここま では、きっと作者の様子でしょう。後半は、風雪の中、船にいる漁師のことです。船の中で眠るのですが、こちらも不思議と寒さを感じません。ぬくぬくとした 室内でお酒を一人飲んでいる自分と、船にいる漁師。自分の方がよくて、漁師はかわいそうという雰囲気はなく、どっちがいいのか・・・と自分に問いかけてい るような詩です。無いものねだりかもしれませんね。でも、傲慢な感じはなく、私は、むしろ杜牧の優しさを感じます。

冬至

作者、杜甫は盛唐の詩人。現在の湖北省の人。李白などと並んで、日本でもよく知られた詩人です。一族に詩人などがいたことから文学に親しむ素養があったようです。今回紹介した詩は、四川省奉節県にいた55歳ころに作られたようです。この詩には続きがあって、そこでわかるのですが、雪が降った後の寒い冬至だったようです。「年々至日」の至る日とは冬至のことです。客となるは、旅人となると言う意味で、作者杜甫自身のことです。忽忽は失意の様子で、窮愁は、甚だしい愁い。泥殺の泥は拘泥の泥でとらわれること、殺には殺すと言う意味はなく、泥を強調しています。江上の形容の江は長江のことで、形容はその水面に映る杜甫の容貌のこと。天涯の風俗、天涯が故郷を遠く離れた土地と言う意味ですから、異郷の地の習慣にも自ら親しむということです。この後には、「藜(あかぎ)の杖(つえ)をついて出かけて行き 雪があがった赤い色の谷を見下ろす」と続きます。そして、都長安を思う気持ちが表現されています。昼間の時間が短い、つまり漆黒の闇に包まれる夜が長い冬至の日、年老いて故郷を離れていれば、体の寒さだけでなく、確かに心も寒くなって、寂しくなりそうです。

癸丑岁暮杂吟

作者、黄之雋は清の詩人、役人。現在の上海の人です。博識な人として知られ、唐の時代の人の句を集めて作った「香屑(こうせつ)集」が有名です。タイトルの癸丑は雍正11年、1733年です。この年の年末に作られた漢詩です。歳暮の言葉は、いまではお歳暮、年末の贈答品のイメージですが、もともとは年末、歳末の意味です。客となってとありますから、旅か仕事で家を離れていたのでしょう。それが、帰ってきたらもう年末になってしまった。歳又除の又の文字が、もう年末だよという気持ちをよく表しています。一楼とは、作者の部屋のことでしょう。乱堆の書、読み終わった本かこれから読む本かは解りませんが、乱雑に積みあがった雰囲気から作者の性格まで伝わるようで、微笑ましい感じがします。更に、債を避けての債は、債務の債、借金ですね。これを避けて、残った本をかかえて、蠹魚に埋もれようと言っています。蠹魚は、しみ、本を食べる虫ですから、虫に食われぼろぼろになった本に埋もれよう、外には借金取りがいて出てけないことを言っています。この本の虫は、本ばかり読んでいる人のことでもあります。年末に借金取りに追われ、隙間風の入る、でも日当りのいい自分の部屋に籠り、乱雑な本に囲まれている。清の時代の詩は、唐や宋の時代と違って、生活の様子や習慣が現代に近く、想像しやすいように思います。

臨安春雨初霽

作者、陸游は南宋の詩人。現在の浙江省紹興の人。範成大、楊万里とともに南宋の三大詩人と言われました。当時の人としては長生きな85歳で世を去るまでに約1万首という多くの作品を残しました。今日の作品は、62歳の時、風光明媚な地としてしられる厳州で代理知事をしていた時に、当時の都臨安に呼び出された時の滞在中に作ったものです。タイトルは、「臨安で春雨がやっとあがったばかり」という意味です。先ず、前半を聞いていただきました。世味は、世間への興味、紗は薄絹のことです。京華は、都、つまり臨安のこと。本来都に来るのは嬉しいことなのに、この一句をみると嬉しそうではありません。眠れなかったのか、夜は春雨の音を聞いていたようです。深巷は奥深い路地の意味で、杏花、アンズの花は日本なら桜と言った感じで江南地方の春を代表する花です。都に呼び出されて来たものの眠れぬ夜を過ごした陸游。次の日はどんな風に過ごしたのでしょうか。後半を聞いてください。

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