中国語旅行会話集

皆さんこんにちは、「songyun.org中国語教室」というコーナーを始めました。このコーナーでは中国に関する知識や中国語の勉強方法などをご紹介いたしますので、このウェーブサイトを有効にご利用していただき、この中国語教室が皆様のお役にたちますように心より願っています。

私も日々日本語と英語を勉強していきたいと思っておりますので、今後とも、よろしくお願いいたします。

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中国語旅行会話集

北京地下鉄のたび -東単駅 -

この駅の名前の由来は、一つの牌楼にあります。牌楼は、木で作られた屋根つきの門のことで、中国特有の建築芸術と文化を有しています。かつて北京には牌楼が数多くあり、とりわけ有名だったのが、この東単牌楼と西単牌楼でした。しかし1924年、電車の通行のため撤去されました。今、東単は、ショッピングモール東方新天地に隣接し、多くの買い物客で賑わっています。

 観光スポット

 豫親王府旧跡(豫亲王府旧址)

 豫親王は、清の初代皇帝であるヌルハチの15番目の子どもでした。清朝の崩壊とともに爵位を失いました。生活のために財産を切り崩し、1916年、300年の歴史を持つ豫親王府をアメリカのロックフェラー財団に売却しました。財団は、王府の中にあった建築をすべて撤去し、かわりに協和医学院と付属病院を建設しました。現在、豫親王府は、門前の両側に置かれた獅子の像のほか、当時のものは何も残っておらず、この二つの獅子の像は唯一北京清代の王朝が所有していた王府の門前にある獅子像となっています。

 アクセス:地下鉄A出口より東単北大街に沿って北へ直進、東単三条の交差点を左へ。協和医科大学内。

北京地下鉄のたび ー建国門駅ー

建国門駅(建国门站)

 かつて北京市内には「内九外七」と言われた、内城に9つの門、外城に7つの門、あわせて16の城門がありましたが、この建国門はこのうちには入っていません。名前には「門」の字がありますが、実は城壁の門ではありませんでした。1939年、日本軍が北平を占領し、通行のために城壁に穴をあけたのが始まりで、1940年に後明門と名づけられ、さらに1945年に現在の建国門と改められました。現在は、ビジネスの中心地として知られています。

観光スポット

北京古代天文台(北京古代观象台)

 1442年ごろに建設されたもので、世界でも古い天文台です。1992年まで使用されていました。近代的なビルに囲まれた環境にありながら、当時のそのままの姿で、北京の歴史をしのばせる文化財です。

 アクセス:地下鉄C出口より出てすぐ。

グルメ

鴨王北京ダック店(鸭王烤鸭店)

北京地下鉄のたび ー永安里駅ー

永安里(永安里站)

 この駅の名前は近隣にある「永安里社区(コミュニティ)」に由来しています。この社区は建国門のそばに住んでいた住民の移転のために50年代に建設されたものです。「永久に平和な住居」という意味をこめて永安里と名づけられました。この周辺には、最も早く外国の大使館が建てられました。また外交ビル、外国人向けデパート、合弁資本のホテルなど作られ、外国との交流に重要な役割を果たしていました。現在も観光客のショッピングスポットとして人気があり、連日多くの外国人が訪れています。

観光スポット

日壇公園(日坛公园)

 日壇は朝日壇とも呼ばれ、北京市内にある有名は5つの壇のうちの一つです。「壇」とは、古代に祭祀やその他の大きな行事を行った場所のことを指します。1530年につくられ、明と清代の皇帝が太陽を祭っていました。今はすでに神壇は���われ、円形の低い台が残されています。緑の木が茂る園林になっており、休日は多くの人々が散歩に訪れています。

 入園料:1元/人

北京地下鉄のたび ー宣武門(宣武门站)ー

この門は他の門と同様に、時代の流れとともにその名を変えています。元時代には、中国古代の書物『周易』の言葉に由来し、「順天門」と呼ばれ、明時代は、中国の天文学者である張衡の著作『東京賦』の中の『武節は宣なり』という言葉から現在の名前となりました。そして、もう1つちょっと怖い俗称も持っていました。宣武門の外には刑場があり、罪人はこの門をくぐって刑場へと向かいました。門の上には「後悔遅」という3文字が掲げられていたそうです。このため「死の門」と呼ばれていたのです。門自体は民国時代に撤去されました。

 観光スポット

 民国国会議場(民国国会议场)

 1910年に清政府は、憲法制定の準備としてここに京獅法律学堂と資政院を建てたのがはじまりで、辛亥革命の後、国会議場となりました。

 アクセス:地下鉄A1出口出て、宣武門西大街に沿って西へ直進。佟麟閣路を右へ。

 中華聖公会教堂(中华圣公会教堂)

北京地下鉄のたび ー積水潭駅ー

地下鉄2号線は1969年に着工し、1984年に全線開通しました。北京には内側と外側の2つの城壁がありましたが、この路線は、元の北京の内城をぐるりと一巡りする路線で、通称『環線』と呼ばれています。そしてこの路線は、北京の古い城壁跡を走るものでもあります。1920年代、スウェーデン人のオスヴァルド・サイレンは、「北京の城壁は、人の魂を揺さぶる遺跡だ。広く、安定感があり雄大だ。上から敵を見下ろし、四方をにらむ構えで、このような高大な城壁は唯一無二の都市設計である。」と書き残しています。1953年から外城の城壁が取り壊しが始まりました。内城の城壁は、1960年代末まで残されていましたが、地下鉄2号線の建設に伴い取り壊され、600年の長い歴史をもった城門と壁は永久に失われました。しかし、2号線の駅名は、「安定門」や「崇文門」と「門」のつくものが多く、かつて城門と城壁があったことを教えてくれます。

 積水潭駅(积水潭站)

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