「詩仙」李白とその詩
皆さんこんにちは、「songyun.org中国語教室」というコーナーを始めました。このコーナーでは中国に関する知識や中国語の勉強方法などをご紹介いたしますので、このウェーブサイトを有効にご利用していただき、この中国語教室が皆様のお役にたちますように心より願っています。
私も日々日本語と英語を勉強していきたいと思っておりますので、今後とも、よろしくお願いいたします。
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Submitted by whenis on Sat, 07/25/2009 - 19:33
李白は中国唐代の著名な詩人である。非常に自尊心が強く、誇り高い独立心の強い人格や、豪放洒脱、自由でロマン溢れる感情は唐代の知識人の特徴と風貌を十分あらわすものである。
李白(701-762)は原籍が今日の甘粛で、その出身地や家族の系譜はいまなお謎のままである。李白の詩でわかるところは、その家族は生活が豊かで教養があり、李白は子供のころから読書が好きで、それ以外にも剣道が上手であった。李白は20歳から見識を豊かにするため、各地を旅した。見識が広く、知恵が優れているため、詩の作成で傑出した業績を挙げた。当時はまだ印刷や交通が発達していなかったが、人々が互いに交流することで、李白は若いうちにすでに広く名を知られた。
知識を学び、政府の試験を受けることは中国古代の文人が一貫して求めたことで、若いころの李白は官吏になることで、身を立てようとし、都の長安に来た。詩が優れていた上、有名人から推薦されたため、天宝元年(742年)李白は宮廷に入り文官として仕えた。これは李白の生涯で最も意を得た時期であった。
李白は生まれつき誇り高い性格で、役人間の陳腐な風習に不満を持ち、皇帝から重責を任せられ、政治上の才能を発揮できることを望んでいた。しかし、当時の皇帝は彼を詩人にしかみていない上、宮廷の役人たちが李白の陰口をきくため、皇帝は李白を信頼しなくなった。李白は宮廷に対し失望し、長安を離れ、天下を放浪し、詩と酒に浸る暮らしを始めた。
李白は生涯の大部分の時間を旅の中で過ごしていた。この間に自然を歌う詩を多く書いた。李白が詠んだった「蜀道難、難于上青空」、「君不見黄河之水天上来、奔流到海不復回」などは、誇張の手法と生き生きとした喩えで永遠に詠われる名句である。
李白の詩はこれまで伝わっているものが900篇あまりあり、このほか、散文が60篇ぐらいある。特異な発想と壮大な気風は読者を魅了し、その後の世代に深い影響を及ぼしており、「詩仙」と呼ばれている。
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