中国茶の歴史

皆さんこんにちは、「songyun.org中国語教室」というコーナーを始めました。このコーナーでは中国に関する知識や中国語の勉強方法などをご紹介いたしますので、このウェーブサイトを有効にご利用していただき、この中国語教室が皆様のお役にたちますように心より願っています。

私も日々日本語と英語を勉強していきたいと思っておりますので、今後とも、よろしくお願いいたします。

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中国茶の歴史

侯宝林ー巨匠

侯宝林は、1917年天津で生まれた中国漫才史上の巨匠です。

実家は暮らしに困っていたため、四歳の時に彼は叔父さんに連れられて、北京の侯家に引き取られました。継父は貝勒の屋敷でコックをしていましたが、貧乏な家でした。このため、侯宝林は幼い頃から、生活の厳しさを十分味わっていました。1929年、十一歳の侯宝林は閻沢甫先生の弟子になり、京劇の勉強を始めました。十二歳の時、漫才に興味を抱いていた侯宝林は、常宝臣先生、朱闊泉先生の弟子になって、漫才の勉強をしながら、北京の天橋や鼓楼の辺りの露店で漫才の公演をしていました。当時、伝統的に、伝統演劇の「トリ」をとるのは「太鼓」と決まっていましたが、努力の末、侯宝林の漫才はやっと伝統演劇の「トリ」をとることができるようになり、漫才界にも大いに面目を施したということです。その後、侯宝林は同じ漫才師ー郭啓儒とパートナーになり、当時の漫才の俗っぽさを排し、素朴ながら雅びな趣きのあるスタイルで評判となりました。侯宝林は伝統漫才を演じる一方、現実生活を反映する新しい漫才を数多く創作しました。

阿炳ー音楽家

二胡の曲と言えば、沢山の人にとって、すぐに思い出されるのは「二泉映月」に違いないでしょう。けれど、どれくらいの人がこの名曲の作者が誰かということを知っていますか、そして、この人は一体どんな環境で「二泉映月」を創作したのでしょうか。

では、ここで、この作者についてお話しましょう。

阿炳、元名は華彦鈞、1893年江蘇省無錫で生まれた民間音楽家です。父親の華清和は町中にある「三清殿道観雷尊殿」の主な道士であり、道教の音楽が得意でした。阿炳(華彦鈞)の幼い頃に、母親が死に、叔母さんに育てられて、八歳から父のもとで小道士になりました。私塾で三年ぐらい勉強し、父に鼓、笛、二胡や琵琶などの楽器を教わり、12歳で色々な楽器ができて、しょっちゅう道観のイベントに参加させられました。彼は骨身を惜しまずに広範な民間音楽のメロディーを摂取し、道教音楽の枠を超えて、十八歳の時無錫道教音楽界で「演奏名手」と呼ばれていました。

中国人のお茶を飲む習慣

中国ではお茶を飲む歴史は四千年余り前を遡ることができる。お茶は中国人の日常生活に欠かせないものである。中国では昔から薪、米、油、塩、醤油、酢、お茶は日常生活に欠かせないものとされている。お茶は人々の生活に重要な位置を占めている。また、中国人はお茶でお客さんを招待する習慣もある。お客さんが来ると、まずいい香りをするお茶を立て、飲みならが話をする。これは愉快なことだ。
話によると、紀元280年前、中国の南方には呉という小さな国がある。国王は大臣を宴会に招待する時、よくお酒を酔っ払うまで飲ませた。大臣の中に、酒に弱い韦昭という人がいたが、国王は酒の変わりに彼にお茶を飲ませたのだ。それで文人墨客の間にお茶で客を招待することがはやった。唐の時代になると、お茶を飲む習慣が定着するようになった。茶を飲む習慣は仏教ともかかわりがあるそうだ。紀元713から741年間の間、寺院では、和尚さんと信者達は座禅する時、よく眠くなったのだ。これを見て、1人の年長の和尚さんは彼らにお茶を飲ませた。すると皆が元気がでたのだ。この方法はまもなく、各地に広がった。これと同時に金持ちの家では、専門的にお茶を飲む茶室が設けられた。
紀元780年ごろ、唐の時代の陸羽はお茶の栽培や製造、飲用について中国初の本『茶経』を書いた。

安渓鉄観音

清の時代(1725年、18世紀)、福建省安渓の西坪に住んでいた茶農魏蔭さんは、観音様にとても信仰が厚く、毎日、朝、昼、晩、一日も欠かさずお茶を観音様に捧げていました。そんな忠実な魏蔭さんに、ある日奇跡が起きたのです! ?BR> ある夜、魏蔭さんは山の奥に何かを探しに行き、山の岩壁で少し休憩していたところ、涼しい風が吹いてきて、何だか蘭のようなよい香りが鼻に届いて来ました。魏蔭さんは風の方向に沿って香りを探しに行きました。すると、山の岩壁に蘭の香りを放っている茶の樹があるではありませんか!魏蔭さんはその樹に魅了され、手に取ると同時に足が滑り、何と谷に落ちてしまいそうに・・・・!その時、夢から目が醒めました!

翌日、彼はその茶の樹を探しに行く決意をし、何と、夢の通り山の奥の岩壁で蘭の香りを放った茶樹を発見しました!その樹を持ち帰り、精いっぱい育てました。そして、茶樹から採れた茶葉で魏蔭さんは自分の熟練の技術で新しいお茶を作りました。仕上げたお茶の香りは蘭の香りように、またどっしりと重い鉄のような深み、外観は綺麗な発色でまるで観音様を見ているように思えたとか。魏蔭さんは観音様に感謝の気持ちを込めて、「鉄観音」の名前をつけたそうです。

六,七千年もの昔より茶樹は存在していた

中国茶の歴史

はるかかなた昔から中国ではお茶を飲んでいましたが、それがいつぐらいなのか、検討がつきますか?中国の伝説によると、茶樹は6、7000年前から存在していたとか。「じゃ、いつから飲んでたの?」と言うと、中国古代伝説の中でお茶を最初に飲んだのは「神農(中国神話にみえる農業神)」氏と言われていて、それが紀元前2700年頃の神農時代だと言われています。『神農本草経(後漢時代の書物)』には「神農嘗百草、日遇七十二毒、得荼而解之(神農が100種類の草を食べて、ある日72種の毒に冒されたが、茶葉で救われた)」と記載されており、これが神農が初めに荼(=茶)を発見したと言われる根拠になっています。

中国茶の流れ

お茶が飲み物として記録されるようになったのは漢の時代。西漢文献「童約」によると、王褒が人を遣ってお茶を煮て飲んでいたようで、その頃の時代は、「煮る茶時代」と言われています。

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