七擒七縦(しちきんしちしょう)
皆さんこんにちは、「songyun.org中国語教室」というコーナーを始めました。このコーナーでは中国に関する知識や中国語の勉強方法などをご紹介いたしますので、このウェーブサイトを有効にご利用していただき、この中国語教室が皆様のお役にたちますように心より願っています。
私も日々日本語と英語を勉強していきたいと思っておりますので、今後とも、よろしくお願いいたします。
日本語では、二つの動詞の順番を変えて、「七縦七擒」と言いますが、諸葛孔明が南征した時に孟獲を7度捕らえ7度放したという故事から来た言葉です。
「擒」はつかまえる、捕虜にすること、「縦」は逃がすことです。諸葛孔明は何故孟獲を7回捕まえて、また、7回放したのでしょうか。面倒くさくありませんか?その目的はなんでしょう。
こんな故事がありますので、ご紹介しましょう。
三国時代、蜀の丞相諸葛孔明が、軍を率いて出征し、南部少数民族の叛乱を鎮圧しました。しかし、イ族の首領孟獲は屈服せず、いつも蜀の軍隊を攻撃していました。諸葛孔明は孟獲がとても勇敢な人で、信義を重んじ、地元では人望を集めていると聞きましたので、こんな人を配下にしたいと思い、計略をめぐらせ孟獲を捕えました。
孟獲は今度は自分が処刑されるかと覚悟しました。しかし、諸葛孔明は縄を解き、ご馳走を用意してもてなし、更に、蜀の軍の陣形を見せました。諸葛孔明は「この軍はいかがかな?」と訊ねました。孟獲は意地を張って、「今回は油断して失敗した。あなたたちの陣形を見せてもらったので、私を放してくれるなら、次回は、必ず負かしてやるぞ!」と訴えました。諸葛孔明は笑って、本当に孟獲を釈放し、また戦おうと約束しました。
その後、孟獲は更に6回も諸葛孔明と対戦しましたが、毎回捕虜になりました。7回目に、諸葛孔明と会った時に、孟獲はようやく心から敬服し、「さすがの丞相には勝てない。悔いはない。今後、2度と叛乱を起こさない」と誓いました。
少数民族の首領を敬服させるという諸葛孔明のこのようなやり方は良好な効果を収めました。諸葛孔明が死んだ後、長年経っても、蜀の地にある少数民族は叛乱を起こすことがありませんでした。
「七擒七縦」。三国時代、蜀の諸葛孔明が敵将の孟獲を捕らえては逃がしてやることを7回繰り返した末に、孟獲を心から敬服させた故事でした。
『三国志』は日本でも根強い人気がある書物ですね。この故事をご存知の方は大勢いらっしゃると思いますが、諸葛孔明のこの計略、一見面倒くさそうに見えますが、実は非常に巧妙なものですね。急がば周れ。
中国の兵法には、「用兵の道は心を攻めるのを上策、城を攻めるのを下策(げさく)とする」と書いています。つまり、お城を攻めるよりは、敵将の心を捕まえて、それを回心させ、あまり戦わずに自分の配下にするといのが、よっぽどいい計略だということです。