五十歩笑百歩

皆さんこんにちは、「songyun.org中国語教室」というコーナーを始めました。このコーナーでは中国に関する知識や中国語の勉強方法などをご紹介いたしますので、このウェーブサイトを有効にご利用していただき、この中国語教室が皆様のお役にたちますように心より願っています。

私も日々日本語と英語を勉強していきたいと思っておりますので、今後とも、よろしくお願いいたします。

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中国は日本語より一つ字が多いです。五十歩と百歩の間に、笑うの笑が入っています。これは厳密に言えば、四つの字ではないので、四字熟語とは言えないので、成語と言います。

 日本語と比べると、中国語の方が分かりやすいですね。五十歩後退した人が百歩を後退した人をあざ笑うということです。

 同様の立場にありながら、相手を嘲笑する愚かさを言います。言葉の出典となるのは、『孟子』です。

 中国の戦国時代に、梁の恵王が孟子に尋ねました。「私は、凶作の地にいた民を豊作の地に移住させるなど、常に人民に気を配っているが、何故、他の国の人民が減らず、私の国の人民が増えないのだろうか?」

 孟子は答えます。「王は戦争の話が好きですから、戦争の話にたとえましょう。戦場では太鼓が鳴り、両軍は激しく戦っているところです。鎧を捨てて、武器を引きずって逃げるものが現れました。百歩逃げたものもいるし、五十歩逃げたものもいます。もし、五十歩逃げた者が、百歩逃げたものを臆病者だと嘲笑ったら、どう思いますか?」

 恵王は「五十歩逃げた者はただ百歩にならなかっただけだ。逃げ出したことには変わりがない」と答えました。

 孟子は、「その道理が分かっておられるなら、人民の数が他国より多くなることなど望まないことだ」などと詳しく理由を分析しました。

 孟子の分析を要約すると、梁の恵王は自分が常に人民に気を配り、他国の政治よりは賢明だと自慢に思っています。恵王は人民が苦しむのは、凶作のせいだと思い込んでいます。でも、人民が苦しむのは凶作のせいばかりでなく色々な要素が係っています。それらの根本的な原因を見つけられず、人民に利益をもたらす政治を行わないのは、他国の政治と大差がないということを、孟子が言っています。

 少しの違いはあっても、本質的には同じであるということ。似たり寄ったりという意味の成語、「五十歩百歩」、"五十歩笑百歩"でした。

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