秦の始皇帝陵と兵馬俑(二)
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秦の始皇帝陵の地下宮殿のレイアウトと埋蔵状況などに関しては、史書でたくさんの記載が残っています。漢の時代の歴史学者ーー司馬遷は『史記』の中で 、「穿三泉,下铜而致椁,宫观百官,奇器异怪徙藏满之。以水银为百川江河大海,机相灌输。上具天文,下具地理,以人鱼膏为烛,度不灭者久之」 と書いてあります。この古文の意味を日本語に訳してみますと、「秦の始皇帝の陵墓は、非常に地下深く掘られています。まず、溶かした銅の液で床を埋めた後、棺おけを置きます。地下宮殿には、文武百官の席を設けただけではなく、数え切れないほどの宝物を所蔵しています。また、盗掘を防止するため、宮殿の門に矢などの防止用の道具が設置されています。さらに、陵墓内で水銀による海や川を作り、機械の力でそれを流動させるようにしており、お墓の吹き抜けには太陽や月、星などを飾り、地下には実物を真似した山水やお城や村などの風景も見られます。そして、所々に人魚の油で火を点した(ともした)蝋燭があり、これらの蝋燭は長く点しても消えません。」ということです。
司馬遷の『史記』のほか、班固の『漢書』や、また、北魏の障モ道元がその著作、『水経』の中においても、みんな同じような記述があるらしいです。秦の始皇帝はなぜこのような雄大な陵墓を作ったのか、を考察しますと、中国人は昔から人が死んでも、魂は不滅であるということを信じていましたね。"事死如事生,礼也"。「死んだ人をまだ生きていると同じように扱うことは、礼儀なり。」ですから、死んだ後の生活場所である陵墓には大変こだわったのです。
秦の始皇帝は特にこの風習を重んじていた方です始皇帝は自分が享有していた中央政府のすべての官僚機構などを、すべて副葬坑の形で地下に持っていきました。