中国物語・草船で矢を借りる

皆さんこんにちは、「songyun.org中国語教室」というコーナーを始めました。このコーナーでは中国に関する知識や中国語の勉強方法などをご紹介いたしますので、このウェーブサイトを有効にご利用していただき、この中国語教室が皆様のお役にたちますように心より願っています。

私も日々日本語と英語を勉強していきたいと思っておりますので、今後とも、よろしくお願いいたします。

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  紀元前三世紀の頃は、中国では魏、蜀、呉の三国時代であり、魏は北方を占め、蜀は西南方を占め、南方は呉に占められていた。あるとき、長江の南にある呉を攻めるため、魏は大軍を繰り出し水路からせめて来た。やがて、魏の軍隊は呉に近い地点まで突き進み、河辺で陣営を置き、その後進軍する機会をうかがい始めた。

中国語成語・中国物語

 呉の元帥である周瑜は、魏の軍隊を探察させた後、弓で敵を防ごうと考えた。しかしそれにはどうしても十万本もの矢を短期間内に作り出さなければならない。どうするか?当時呉の能力からみて、それには少なくとも十日はかかるのだか、守備側の呉にとっては、十日は長すぎるのだ。

 ちょうどそのとき蜀の軍師である諸葛孔明が呉の国を訪れていた。諸葛孔明は非常に賢明な人物なので、周瑜は、最も短い時間に必要な矢を作り出す方法を彼にたずねた。すると孔明は、三日間あれば十分だと答えた。この答えに呉の国の大臣や武将は、孔明がほらを吹いていると思ったが、それを察して孔明は、もし三日以内に完成できなかったら、喜んで処刑を受けるとの軍令状を周瑜に書かせた。この任務を受けた孔明は少しも慌てなかった。彼は呉の大臣である魯粛に、そのように大量な矢は、普通の方法では短時間内には作り出せないといい、魯粛に二十隻の小船を用意させ、それぞれ三十人の兵士をのせて青布を被せ、その上に草をいっぱい差し込ませ、またそのことを必ず他言しないように魯粛に求めた。こちら魯粛は公明の指示通りに必要なものを用意していながらも、孔明の計画を分からずにいた。

  さて、三日間で十万本の矢を用意すると約束した孔明だが、一日目はなんの動きも見せず、二日目も同じように過ごした、そして三日目が過ぎようしているのに、一本の矢も手に入れていない公明のことをみんなは心配した。もし期限どおりに任務を完成できなければ、孔明はもちろんのこと処刑されるからである。やがて三日目の夜になったので、孔明は魯粛を小船にこっそり招いた。何かわけのわからない魯粛は、何の御用かと聞くと、孔明は「私と一緒に矢を取りに行きましょう」と答える。不審に思った魯粛「どこへ取りに行くのでしょうか?」とさらに聞くと、行けば分かると答え、孔明諸は笑顔を見せた。 

  そして孔明は縄で二十隻の草を挿した小船を繋げて、魏軍の陣営に出発するように命じた。その夜は大霧がでており、水面では手のひらが見えないほどだったが、出た霧が大きくなれば大きくなるほど、孔明は全速で舟を進めるよう促した。やがて船が魏軍の陣営に近づくと、孔明は船隊を一字形に並べさせ、兵士たちに船の上から陣太鼓を叩いて、魏に軍隊にけしかけろと命じた。これに魯粛はびっくり仰天して震え出し、「我々はわずか二十隻の小船ですぞ。それに兵士も三百名あまりしかいませんよ、もし魏軍が押し寄せて来れば、我々は間違いなく全滅します!」と叫んだ。しかし孔明は「こんな大霧のなかで魏軍が出陣するはずはない、私が保証します。私たちはただ船内でお酒を飲んでいればいいのですから」と笑いながら答えた。

 一方、魏軍の陣営では、不意に騒がしい挑発する声が聞こえたので、頭領である曹操は、大将たちを集めて対策をねった。そして川の霧がひどく、敵の詳しい状況がつかめないため、敵軍の上陸を防ぐため、水軍を行かせて矢を放つという決定が下された。これに基づき魏軍の一万名の弓兵が、河辺まで出向かい、けしかけの声のする方向へ猛烈に矢を放った。するとこの豪雨のような矢は孔明に船隊に飛んできて、あっという間に、船の上の多くの草に刺さったのである。これを見た孔明は、時を計らって船を横に回転させ、矢を受けていない側を、魏軍のいる方向に向けさすと、こちら側にもあっという間に多くの矢が刺さった。もういいだろうと思った孔明は、船隊を直ちに帰還させた。ちょうどこのとき霧もだんだんと晴れていきて、魏軍が実情をつかんだときはすでに手遅れであった。

  公明の船隊が呉軍の陣営に戻ったので、呉の元帥である周瑜は五百名の兵士を遣って矢を運ばせ、数を数えると、草船に刺さった矢は十万本を越えていた。これを知った周瑜もさすがに孔明をに感服した。

  ところで、諸葛孔明はその夜に大霧が出ることをどうして知ったのだろうか?実が、彼は天候の変化に対する観察が鋭く、念入りに推算した末、その日の夜には川に必ず大霧が出るとの結論を出したのである。こうして、諸葛孔明は自分の知恵を用いて敵軍から十万の矢を巧みに手に入れたのである。

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