田忌、馬を競う
皆さんこんにちは、「songyun.org中国語教室」というコーナーを始めました。このコーナーでは中国に関する知識や中国語の勉強方法などをご紹介いたしますので、このウェーブサイトを有効にご利用していただき、この中国語教室が皆様のお役にたちますように心より願っています。
私も日々日本語と英語を勉強していきたいと思っておりますので、今後とも、よろしくお願いいたします。
紀元前四世紀の中国は、諸侯たちが割拠する「戦国時代」と呼ばれている。この時代に魏の国で仕官している孫臏は、同僚である厖涓に迫害されたあと、斉の使臣に助けられ、斉の国都へとやってきた。
そして斉の使臣が彼を斉の大将軍である田忌に紹介したので、田忌が孫臏に兵法をたずねると、孫臏は三日三晩続けて兵法を説いたので、田忌は心から感服し、孫臏を貴賓としてもてなし、また孫臏も田忌に感激して知恵や計策を献じていた。
競馬は当時の斉の貴族の間で最も人気のある娯楽である。国王から大臣までがよく競馬を楽しみ、大金をはたいて賭け事をする。田忌もよく国王や他の大臣とこれに加わったが、これまで負けてばかりいた。この日も彼は負けたので家に帰ってからも不機嫌な顔をしていた。これを見た孫臏は「次回は私もお供しましょう、もしかしたら何かお役にたてるかもしれませんぞ」と田忌を慰めた。
そして次に競馬が行われたとき、孫臏は田忌について馬場に向かい、文武諸官たちと多くの庶民も見物にきていた。競馬のルールとは馬の速さに基づき、上、中、下の三つの等級分け、ことなる等級の馬はそれぞれ異なった飾りをつけ、また賭けに参加した者の馬は、自分の考に基づき、それぞれ競走に出る馬の順を決め、三試合のうち二勝すれば勝ちとなるというものだった。
孫臏はこのルールを知った後、しばらく様子をみてから、田忌がこれまで負たのは、決して彼の馬が他人の馬よりより大きく劣っているわけではなく、ただ戦略をうまく活用しないからだと悟った。そこで孫臏は「大将軍殿、ご安心ください、私は勝つ方法を見つけました」と田忌にその策を教えた。これを聞いて喜んだ田忌、すぐに王と千金を賭けると申し出た。負け知らずの馬をもつ国王も、気軽にこの田忌の挑戦に応じたのである。
さて、試合がはじまる直前になって田忌は孫臏の指示に従い、上等級の馬の鞍を取り外して下等級の馬につけて上等級の馬に見せかけ王の上等級の馬と対戦させることにした。こうして対戦が始り、王の馬は矢のように前を走り、田忌の馬はかなりの距離をつけられてあとに続いた。これを見た王は有頂点になって大笑い。だが第二試合、田忌は孫臏の指示に従って、自分の上等の馬を王の中等級の馬と競わせたので、田忌の馬が王の馬を抜いて前を走り、大喝采の下に第二試合をものにした。そして大事な第三試合であるが、田忌の中等級の馬と王の下等急の馬との対戦になり、田忌の馬がまたも王の馬を負かせ、結果は二対一で、田忌は王に勝ったのである。
これまで負けたことのなかった王は驚きのばかりあいた口がふさがらない。そこで仕方なく、田忌に、どこであんないい馬を手に入れたのかと聞くと、田忌は自分が勝ったのはいい馬を手に入れたのではなく、戦略の活用にあると答え、孫臏に教わった策を教えると、王は大いに悟り、すぐに孫臏を王宮に招いた。そこで孫臏は、双方の条件が対等のときは、策を用いて相手に勝つことができ、そして双方の条件の差は大きくても、策を用いれば損失を最小限に抑えることができると王に告げた。やがて、王は孫臏を軍師に任命し、全国の軍隊の指揮権を与えた。その後、孫臏は田忌に協力して、斉の軍隊の作戦方法を変えたので斉の軍隊はその後、他国の軍隊との戦い、数え知れぬ勝利を収めたのだった。