「百歩楊を穿つ」・中国の物語

皆さんこんにちは、「songyun.org中国語教室」というコーナーを始めました。このコーナーでは中国に関する知識や中国語の勉強方法などをご紹介いたしますので、このウェーブサイトを有効にご利用していただき、この中国語教室が皆様のお役にたちますように心より願っています。

私も日々日本語と英語を勉強していきたいと思っておりますので、今後とも、よろしくお願いいたします。

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 中国古代の戦国時代には、多くの諸侯国が並存していた。各国には有名な人物がいて、これら人物にまつわる物語もまた今でも広く伝わっている。

 秦の国の将軍である白起は、戦には非常に長けていた。彼が指揮を取った戦いは負けたことがないので、かれは人々に「常勝将軍」と呼ばれていた。ある年、秦の国王は白起に兵を率いさせ魏の国攻略に向かうよう命じた。しかし、もし魏の国が秦の国に落とされれば、他の多くの国まで連鎖反応が起こりかねないので、人々はこれに強い不安を覚えた。

 蘇厲という策士いて、魏の国を攻めないよう白起を説得するよう命じられた、そこで蘇厲は何とかして白起に会ってから、次のような故事を彼に聞かせたという。

 ある有名な弓の達人がいて、その名を養由基という。養由基は幼いときから柔術が上達し、百歩離れて柳の葉を射抜けるほどの腕をもつという。また、当時もう一人の潘虎という名の勇士が射て、その弓術の腕も確かであった。ある日、二人は広場で腕を競っていると、多くの人が囲んでこれを見守っていた。的は五十歩ほど離れた場所にあり、そこには木の板が置かれ、その真ん中に赤い印がつけられていた。潘虎は弓を引き、一気に三本の矢を的中させたので、見ている人々は喝采した。すると養由基は辺りを見渡し、「五十歩だけ離れて射るのは近すぎて、的が大きすぎる。百歩離れて柳の葉を射て勝負しましょう」と言い出し、百歩ほど離れた柳の木を指差し、人に一枚の葉を選ばせ、それに赤い印をつけさせた。そして、彼は弓を引き矢を放ち、その柳の葉の中心を射貫いたのである。これをみた人々は誰もが言葉を失うほど驚いた。こちら潘虎は、己の腕がそれには及ばないと分かったが、養由基の矢が葉を射貫き続けるとも信じず、その柳に木に歩み寄り、三枚の葉を選んでその上に番号をつけ、養由基にそれを順番に射るように求めた。これを聞いた養由基は柳の木の下まで来て葉の番号を確かめてから百歩歩いて離れて三本の矢を放つと、三本の矢は見事にそれぞれの番号のついた葉に的中した。これには周りの人々は大喝采であり、また潘虎もこれに心服したのである。だがこのとき、周りの歓声をよそに「うん、百歩離れて柳の葉を射貫く腕があれば、わたしの指導を受ける資格をもつということだ」と養由基の傍にいた一人が言い出した。誰だ?生意気なと怒った養由基が振り向いて「あんたはどうやってこのわたしに弓を教えるというのか?」と言った。するとその人は「あんたに教えるのは弓術ではなく、どうすれば自分の名声を守るかだ。もしあんたの力が尽きれば、或いはすこしでも腕震えて、的を外してしまうと、あんたの百発百中という名声はひどく傷つくことなると考えたことがありますか?弓の達人なる者は、その名声を保たなければならないのですぞ」と平然として答えたのである。

 蘇厲はその故事を通して「あなたは常勝将軍と呼ばれているが、だが魏の国は必ずしも容易に落とせる国ではありません。もしあなたがこの戦に勝てなければ、自分の名声を傷付けることになりますぞ」と言って白起に忠告した。これを聞いた白起は、自分の百戦百勝の名声を守るために、軽々とは出陣はしまいと考え、体が不調だという口実で、魏の国を攻めることをやめたのである。

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