楊沫は中国近代の女流作家

皆さんこんにちは、「songyun.org中国語教室」というコーナーを始めました。このコーナーでは中国に関する知識や中国語の勉強方法などをご紹介いたしますので、このウェーブサイトを有効にご利用していただき、この中国語教室が皆様のお役にたちますように心より願っています。

私も日々日本語と英語を勉強していきたいと思っておりますので、今後とも、よろしくお願いいたします。

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1934年に、処女作である「熱南山地居民生活素描」という散文を発表しました。抗日軍事基地で、短編小説や散文などを書きました。1950年、中篇小説「ウィ塘記事」、1958年1月に、代表作「青春の歌」を発表しました。1959年、楊沫はこの代表作を映画脚本に書き直し、映画化されました。この映画が上映された後、新中国成立10年間に最も素晴らしい国産映画の一つだと高く評価されました。そして、1978年に、短篇小説「美しいヒ メユリ」、1980年に、長編小説「東方欲暁」(第一部)、「日記でない日記」、1981年に、「楊沫散文選」などを発表しました。

1995年12月、北京で81歳で病死しました。

楊沫(1914ー1995)は中国近代の女流作家です。

楊沫は1914年9月北京に生まれましたが、本籍が湖南省湘蔭県です。本名は楊成業、楊沫はペンネームです。官僚の家に育ち、13歳の時、北京西山温泉女子中学校に入学しましたが、3年後、家の都合で学校を中退しました。そして、河北省の香河県、定県などの小学校で、教鞭を執り、また北京で家庭教師や書店の店員などをしたことがあります。この時期、楊沫は中国共産党の党員や革命に参加したインテリと知り合い、マルクス・レーニンの著作を読むようになりました。1936年、中国共産党に加入し、1942年以降、新聞・「黎明報」、「晋察冀日報」、「人民日報」などの編集者や副編集長を歴任。

新中国成立後、北京市婦女連合会の宣伝部に勤めました。1952年、中央映画局脚本創作所で仕事を始め、その後、北京映画制作所の脚本家となりました。1963年から北京市作家協会専属の作家であるほか、北京市作家協会の副主席、中国作家協会の理事を兼任。1978年全国人民代表大会常務委員会の委員に当選しました。 

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