古蜀王国

皆さんこんにちは、「songyun.org中国語教室」というコーナーを始めました。このコーナーでは中国に関する知識や中国語の勉強方法などをご紹介いたしますので、このウェーブサイトを有効にご利用していただき、この中国語教室が皆様のお役にたちますように心より願っています。

私も日々日本語と英語を勉強していきたいと思っておりますので、今後とも、よろしくお願いいたします。

スポンサー

古蜀王国三星堆は中国四川省成都市から30㎞広漢市にある。成都市と30キロ離れた広漢市に発掘された三星堆遺跡。最初発見したのは1931年だったが、学者たちの数十年の努力によって、今遺跡の面積は12km2、そのうち古城城址の面積は3km2と判断された。1986年には大量の金器、青銅器、玉器、陶器、象牙など文物が発掘され、世界的な話題となった。これらの文物は、揚子江流域に高度に発達した文明があったことを物語っています。 年代は3500年前と推定されています。現在の世界史の教科書には世界に四つの古代文明が あったと記述されています。つまり、エジプト文明、メソポタミア文明、インダス文明、 黄河文明です。三星堆遺跡はこれらの文明に匹敵する文明なのです。世界史の教科書を 五大文明に書き換える事になるかもしれないと、考古学者は興奮しています。

1929年,広漢市西方約7㎞n南興鎮真武村月亮湾の燕道誠は住宅近くに道誠の長男,青保,弟の青順,青龍を連れて,貯水池を発掘していた。夕方,兄弟3人が貯水池の底部に玉璋,玉琮,玉壁,玉斧,玉珪,等の玉石器,総数3400件もあることに気ずいた。燕道誠は一部に鎮家の家宝として残した。1,2年後,広漢月亮湾燕道誠一家が珍宝を掘り出したというニュースが広く伝わり,骨董商たちが群がって「広漢玉機」を購入していた。
1920年代以来,繰り返し大量の玉器や土器が出土し,1986年,土取り作業中に偶然2つの竪穴土坑が発見された。土坑から1トンを超える大量の青銅器が出土して,世界的な話題となった。青銅器の年代は黄河流域の殷王朝後期と同時期と推察されるが,殆どは,殷王朝の青銅器と全く異質の文化的器物であった。

三星堆で最も特長な器物は三個ある。
<1>青銅器で,高さ2,6m,台座付き立人像。祭祀を取り仕切る蜀王や神官の姿と推察される。
<2>長大な耳と双眼鏡のように突き出た両眼。幅が約1,4メートルの奇怪な仮面。この巨大な仮面は「縦目」(遠くを望む)は蜀王『蚕叢』の表現と推察される。
<3>神樹は青銅でできている。『山海経』に出る,若木か扶桑の樹を表現し,太陽信仰の象徴とされている。
青銅立人像
商代末期と推測される。人像の高さ172cm。底座高さ90cm。全体の高さ261cm。1986年四川省広漢市三星堆遺跡二号祭祀坑から土出された。漢代司馬遷は<史記・西南夷列伝>の中で言う,“西南夷”の中の髪を,お下げにする者と髪を上げる者は,その民族は“氏”に帰属,これが巴蜀西南の外蛮夷である。巫祝又は国王兼祭司の上層人物は冠帽子を被る。これが蜀族の形象である。髪を上げる,髪を下げる者は蜀族以外の夷人である。
中原の華夏族から見ると蜀族は西南辺境地帯に居住していた早くから夏,商の時期から蜀と中原王朝は交流があった甲古文の記載によれば商王朝が蜀に射手を3000人派遣して,武丁時期に商王は軍隊を征調して蜀を討伐したとある。三星堆から土出した青銅製人像は三種類に分けられて,一種類は全身人像。これは2つに分けられる,跪く姿と,立つ姿の二種類。二種類は人頭像。三種類は半人間半動物の結合の人像。
中国の古代では仮面を『魁頭』と呼び,死亡者の魂気を保存でき,鬼と病疫を追い払うことができる,と考えられていた。三星堆の土出した仮面は人間の仮面と,蜀人の始祖神の獣の仮面との二種類ある。獣の仮面は方形面で,広い額,両頬が引き締まり,口が大きくて深い,口の中の舌を外に出し,大きい獣の耳,長い刀のような眉,稜柱形の眼球は10数センチも前に飛び出し,目の肌が眼球に付着している。人間に似ているようで,人間でない,獣に似ているようで,獣でもない。人間と動物が一体となった神霊の形象である。人間の仮面は大,中,小,に分けられる。1種類の中には大小似ているものが数あり,造型と仮面をかぶった青銅製人頭像に似た四角い顔,粗い眉,大きな目,大きな口,唇をグッと閉じて,鼻は高くてまっすぐ,力のある表情は緊張感があり,みな迫力を感じさせる。

神樹は1号神樹と2号神樹に分けられる。1号神樹は樹幹,樹の底辺と樹の側の飛龍の3つの部分からなり,高さは最大で3,96m,樹幹の長さは3,84m,中国の上古神話では,最も影響のある神木は建木,扶桑と若木とされている。《淮南子・地形訓》都広は天地の中にあり,建木が都広にあり,天梯子の作用を持つ,西方の宇宙樹に似ている。“若木の端に十の陽があり,形は蓮華のようで,華は光で,光は天地を照らす”又,神樹について《山海経・海内南経》で建木の形状を“その形は牛のようで,引くと皮あり,纓のようで,黄蛇”。その葉は大きく果実は硬く,名を建木と言う,《山海経・海外東経》には,“湯谷の上に扶桑あり,10個の日に浴び,黒歯の北にあり,水中に居,大木あり,九個の日が下枝にあり,一個の日が上の枝にある”と描述している。
長江文明と黄河文明は中華文明の二つの重要部分として対比される,三星堆青銅文明中にある夏商文明は三星堆文化が外部と接触した結果だとされている。商,王朝が滅亡後,楚が商文明の南方の発展を受け継ぎ,周は商文明の北方の発展を受け継ぎ,蜀は引き続きこれらの地区と文化,経済の交流を保ち,蜀文明の中に色濃く楚の文化要素がある由縁である。

スポンサー