皆さんこんにちは、「songyun.org中国語教室」というコーナーを始めました。このコーナーでは中国に関する知識や中国語の勉強方法などをご紹介いたしますので、このウェーブサイトを有効にご利用していただき、この中国語教室が皆様のお役にたちますように心より願っています。

私も日々日本語と英語を勉強していきたいと思っておりますので、今後とも、よろしくお願いいたします。

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操作(cāozuò)

意味

 1. 操作、取り扱い、取り回し、ハンドリング

 2. オペレーション

 3. 操作する、操る、操縦する

 4. 取り扱う、ハンドリングする、処理する

使い方

 事故的原因是由于操作不当。

 事故の原因は適切ではない操作によるものだ。

 =事故の原因は操作ミスだ。

 还有这种操作?

 この手もあるのか。

 =これでもいいのか。

 説明:そもそも思いがけないゲームの遊び方を評価する言い方ですが、最近では、ネット流行語になっています。理解できないことの運び方に対して疑問や驚きを表す時に使われます。

 选手神操作逆袭比赛。

 参加者の思いがけない取り組みで逆襲してコンテストで優勝した。

 =参加者が神操作で逆転優勝した

 谨防房产中介暗箱操作。

 不動産屋の裏工作に十分気を付けてください。

长臂管辖(chángbì guǎnxiá) ロング・アーム管轄権

アメリカの法律用語です。

 アメリカの法律は、連邦国家が制定した「連邦法」以外に、各州が制定した「州法」があります。その州法の中に、ロング・アーム法と呼ばれる法律があります。それは、「ある州に住んでいない人、居住していない人でも、その州と最小限度の接触(minimum contact)があれば、その人に対して、その州の裁判所の司法管轄権が及ぶ」と規定するものです。あたかも州が長い腕(long arm)を伸ばして州外の人を被告として自分の州の司法管轄内に取り込むように見えることから、このように呼ばれます。

 最近中国でこの言葉が注目されています。

 6月21日に行われた外務省の記者会見で、「アメリカ政府が朝鮮と貿易関係のある中国の会社に行動を起こすと脅かしたのか。関連の中国の会社に一方的な行動を起こすことを知らせたのか」という質問がでました。これに答えた報道官は「中国は関連国家が国内法に従って、他国に対していわゆる『长臂管辖(ローン・アム・管轄権)』を適用することに反対する」と述べました。

 これに先立ち、その5日前に、外務省の別の報道官も同じ質問に対する答えで、3回もこの言葉を使いました。

 これに対してネットの利用者からたくさんの「いいね」をもらいました。

中国の春節

西洋人がクリスマスを過すことと同じように春節は中国人にとって一年の中で最も盛大な祝日である。時代の移り変わりに連れて、春節の内容が変わりつつ、人々が春節を祝う方式も変わってきた。しかし、いくら変わっても、中国の人々の生活と意識における春節という地位に取って代わるものが無いだろう。

春節はすでに4000年の歴史があり、当時は春節と言わず、固定の日日も無かった。紀元前1000年の時、人々は春節を「年」と言った。年は当時豊作の意味でした。豊作をかちとると「有年」、或いは「大有年」と言われた。

民間の風俗によると、春節は旧暦の12月23日から正月の15の元宵祭りまでで、約3週間にわたり、12月30日の大晦日と正月の一日が最も盛大に過す慣わしだ。

第13課-そこで、日本の地ビールを出します。

そこで、日本の地ビールを出します。

 在那儿,提供些日本的地方啤酒。

 きっと流行りますね。

 那,一定会流行起来的。

 では、単語と言葉を説明します。

 一つ目:提供するーー「提供」の「提」は第2声、「供」は第1声です。

 二つ目:はやるーー「流行」の「流」は第2声、「行」は第2声です。

 次は「キーポイントをマスターしよう」のコーナーです。今日は「些」の使い方について、お話します。

 「些」は不定の数量を表します。ちなみに、「哪些」は「どんな」という意味です。例えば、

 あのレストランはどんな名料理がありますか?

 那些饭店都有些什么名菜?

 最近、日本国内でどんな歌が流行しているのですか?

 最近在日本国内流行些什么新歌?

 では、テキストの例文を読んでみてください。

 今日はどんなおかずを持ってきましたか?

 今天,带些什么菜来了?

 この居酒屋はどんな食品を売っていますか?

 这家酒馆都卖些什么?

中国伝統演劇の黄梅劇

黄梅劇はもともと「黄梅劇」もしくは「采茶劇」と呼ばれ、18世紀末、安徽省、湖北省、江西省の隣接地帯で生まれた民間芝居である。その中の一流派が安徽省懐寧県を中心とした安慶地区に拠点を移し、地元の民間芸術と結びついた。彼らは現地の方言で歌い、独自の特徴を形成して、「懐腔」もしくは「懐調」と呼ばれた。これがつまり、今日の黄梅劇の前身である。

19世紀半ば、さらに「青陽腔」や「徽調」の影響を受け、正規の正本劇が生まれた。黄梅劇は地方劇の一つとして、徐々に世間から知られ、認可された。初期の黄梅劇は、歌と踊りを併用することが特徴で、ありのままの生活模写に力を入れ、特に決まった型はなかった。一部の芝居(例えば『天仙配』の「分別」というくだり)には立ち回りのしぐさもあったが、それは青陽腔や徽調の影響の名残であった。

当時の黄梅劇の役者は大部分が地元の農民もしくは手工業者で、服装や舞台用道具、楽器の銅鑼や太鼓も寄せ集めのもので、公演前に観衆から借用したりしていた。この段階までの黄梅劇は基本的に農村の労働者の娯楽や発散の場としての文芸にとどまっていた。

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