whenisさんのブログ

皆さんこんにちは、「songyun.org中国語教室」というコーナーを始めました。このコーナーでは中国に関する知識や中国語の勉強方法などをご紹介いたしますので、このウェーブサイトを有効にご利用していただき、この中国語教室が皆様のお役にたちますように心より願っています。

私も日々日本語と英語を勉強していきたいと思っておりますので、今後とも、よろしくお願いいたします。

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中国人の姓名・お名前は

    中国人には早くも5000年前から姓(苗字)がありました。昔よく使われた姓を集めた「百家姓」は北宋(西暦960)のときに書かれたもので、これには408の一字の姓と30の二字の姓合わせて438の姓が載っていました。そして今では6000にも増えていますが、実際に使われているのは1000前後です。

    中国人の姓名は、姓が前、名がうしろです。そして姓名を音標文字で表すには、姓と名を分けて書き、姓と名のそれぞれ最初の音標文字は大文字にします。姓は一字のものと二字のものがありますが、その多くが一字のもので、今のところよく使われている一字の姓は、李が一番多く、その次に、王、張、劉、陳と続きます。二字、あるいは二字以上からなる姓はとても少なく、中でも諸葛、欧陽、司馬、端木、公孫などがよくまられます。伝統的習慣に基づき。中国人は父方の姓を使い、少数の人だけが母方の姓を使っていますが、女性は結婚したあとも、姓を変えません。

    名ですが、一字もあれば、二字もあり、多くの中国人は姓名の三文字の二番目、または三番目の字を家系における長幼の順序を表すものとし、特殊な意義があるのです。

儀礼と風俗1:挨拶

    中国人の人との挨拶の交わし方は多く、相手とは面識がなかったり、あまり知らなかったりしても、よく「你好(nǐ hǎo,ニイハオ)」を声を掛け合います。初めてきたところで始めてあった人に対する挨拶には「你好」がよく使われます。また、友人の家に遊びに行き、そこに知らない人がいたら、友人はさっそくその人を紹介してくれ、それから、互いに「你好」の挨拶を交わすのです。

漢字の起源と変化

     漢字は、世界で歴史がもっとも長く、広い範囲で使用され、使用者も多い文字のひとつである。漢字の誕生と応用は中華文化の発展を推し進めただけでなく、世界文化の発展にも深い影響を与えた。

“四面楚歌”

   大きな困難にぶつかり、周りの不利な状況のすべてはその者の失敗を予言しているかのようなときのことを、中国語では“四面楚歌”という成語で比喩している。

   紀元前202年、中国最初の封建王朝である秦王朝が誕生した。現在の世界文化遺産である中国陜西省の始皇帝の兵馬俑はこの王朝が残した遺跡である。そしてもう一ヶ所の世界文化遺産――万里の長城も、秦王朝に始めて建設されたもだ。

   秦王朝の支配者はひたすら大きな仕事を好み、特に始皇帝は自分のために豪華な王宮や陵墓を造り、膨大な資金を費やしたので、民百姓たちは酷い搾取を受け、民間では蜂起は相次いで起こっていた。その結果、15年後に、秦王朝は滅ぼされ、そのときには項羽と劉邦がそれぞれ率いる二つの勢力が残っていた。

   もとは楚の地出身であり将軍の項羽は、気丈で傲慢な性格の持ち主であり、また戦いに長けていた。一方、劉邦は秦王朝が滅ぶ前には階級の低い官吏であり、狡猾な性格だったが、人使いはうまかった。秦王朝と戦いで、この二人は義兄弟となり、互い助け合っていたが、秦王朝が滅ぶと、二人は反目してしまった。

破鏡重円

  鏡は中国の伝統的文学では満月を意味し、鏡を持ってその人物の何一つ欠点のない品性を形容し、時には人の心は鏡のようにきれいだとか、鏡のようにはっきりしているという。成語の「破鏡重円」は分かれた夫婦がまたもいっしょになることを云う。

 時は西暦9世紀。当時、中国の北方には強大な隋の国があり、南方にはいくつかの小さな国があって、国都が建康(今の南京)にある陳の国はそのうちの一つ。隋はこれら南方の国に対し虎視眈々とし、中国を統一しようを狙っていた。

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